GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

相次いだ・・・

 内藤博文(巨人―近鉄)氏が、亡くなられました。内藤氏は、1948年に巨人に入団。1950年に113試合に出場し、主力選手として活躍した。1959年にA級10年選手制度で、巨人時代に慕っていた千葉茂が監督を務めている近鉄へ移籍した。1961年に現役を引退し、その後は国鉄・サンケイのコーチや、野球評論家などを務めた。さらに1978年に巨人に復帰し、コーチ・球団広報。1982年からヤクルトで二軍監督、一軍ヘッドコーチを歴任。1986年から1991年まで職員として巨人に在籍しました。加えて"日本のプロ野球で初めてジャンピングスローを披露した選手"である。これは内藤自身が1970年代後半に東京スポーツの専属評論家だった時に、新聞コラムで書いていた。っていうのは、"食いつきたくなる「野球雑学」"やないか(燃)チラッと名前は聞いた事があるような感じですね(汗)一瞬「内藤重人巨人トレーニングコーチ」かと思いました・・・通算成績は、試886 率.232 27本186点 安491 です。合掌です・・・
 そして野球のみならず引退後はタレントとして活躍したアニマル(本名:ブラッド)・レスリー(阪急)氏も亡くなられたようです(困)アニマル氏は、1986年の入団1年目に阪急の守護神(抑えの切り札)として君臨し、活躍を遂げました!それだけでなく勝利のゲームセットの瞬間、「雄叫びを上げながらの激しいガッツポーズ」や"女房役の捕手(特に藤田浩雅[阪急―巨人]が、やり玉に挙げられる事が多かった[汗])を激しく殴ったり、頭突きなど"をしながら、"全身を使って勝利に歓喜する"か"殴ると見せかけて低い姿勢を執り「相撲のごっつあんです」で表現する"という「派手なパフォーマンス」で"人気者"・"全国クラスの知名度を誇る助っ人外国人選手"となりました(笑)「プロ野球名場面集や助っ人特集」などで取り上げられる事が多かったので、"リアルタイムでなくても知ってる"というかたも多いでしょうし、僕もリアルタイムでは微妙でしたけど、その後は色んなVTRで観たからもちろん知ってる(ウインク)しかし翌年の1987年は不振で、オフには引退・・・だから派手なパフォーマンスが無ければ、そのまま話題にされんかったでしょうし、"しょっちゅう取り上げられる程の活躍はしていない"んですが(落ち込み)引退後は、日本に残り"亜仁丸レスリー"の名でタレント業」に転身(ドクロ)素人挑戦(参加)コーナーも在った『痛快なりゆき番組風雲!たけし城』にも出演していたようです!!僕は当時小学1年生で"この番組が大好き"で、よく写真を撮る時にたけしやそのまんま東東国原英夫)がこの番組でよくやってた「オカマみたいなポーズ」をしていたのを"僕も真似してやってた"のが、遊園地などに行った際に巨人の帽子を被って写っている写真が、あるはずですが、"アニマルがたけし城に出てた記憶"は、正直無いですね(困)(すいません)ともあれパ・リーグ出身の選手の割には、タレント業でも人気を博しました(笑)亜仁丸の名付け親が、福本豊氏というのも、今回の訃報で初めて知りました・・・さらに"本当は気の弱い人"で、"当時阪急の監督の上田利治氏は「ひと言で言えば愛すべき男。みんなに見せる表情よりもうんと気が弱い子。登板が近づくと震えていたのを覚えている」と、「全幅の信頼を置けないリリーフだったが、力があればもっと人気が出て長くやれたと思う。ご冥福をお祈りします」とその死を悼んだ。"とある様に"派手なパフォーマンスはそれを隠す為のカモフラージュやったんかも!"っていうのは、津田恒美氏と同じ「方法論」ですな!!普段は"真面目で紳士"やったらしいですし。通算成績は、試60 7勝5敗24S 防3.00 でした。合掌です(涙)