さらば野球と笑いの融合の片割れ・・・
昨日いっぱいで、関西を中心に活動していた漫才(お笑い)コンビのストリークが、解散致しました(涙)漫才の形として確立されてからスーツ姿で主にツッコミであった吉本峰之は、芸能界を引退し、野球のユニフォーム姿や野球選手の形態模写・声帯模写や主にボケであった山田大介は、今後ピン芸人として活動して行く模様・・・解散経緯は、吉本氏の芸能活動に対する考え方で、コンビ間でズレが生じた事によるらしいですね(困)元々ストリークは今では考えられん事ですが、活動開始当初は普通の漫才コンビでありました(汗)が、得意&大好きな野球もネタに時々入れてた事もあり、やがて2人共野球のユニフォームを着て漫才をするようになりましたが、その時でもまだ"普通のネタ"で漫才をしていました(ドクロ)ちなみに2003年のM-1までは、二人共ユニフォーム姿であった事はM-1の敗者復活戦の映像で窺えます。しかし2004年頃から、吉本氏だけが"野球にあまり関心が無いという設定(装い)"でスーツ姿で漫才をするようになりました!!それも"野球だけに特化した漫才"というのは、非常にマニアックであり秀逸でしたね(燃)当時の僕は「青空とストリークの漫才は、大したボケでもないのに、笑ろてまうわ{笑顔}」という状態で、野球好きやからという点で客観的評価としてはマイナスな事をしていましたね(爆)だからストリークの漫才は、時として"野球に関心の無い人でないと、面白さが分からなかったり"して、オンバトや他の番組でも観客が笑ってなく、老若男女の客層の寄席でも「何や?あの子ら野球の話ばっかりして・・・」って反応の時もありました・・・それでも彼らはその信念に揺るぎがなく、自身のスタイルを貫き通しました(ウインク)それが2005年の「NHK新人演芸大賞」であり、オンバトでもオンエアされるようになり、チャンピオン大会ファイナルまで行った事もあります(力こぶ)しかしある程度売れてからでも、老若男女の客層の寄席で全くウケない時もありました(ウインク)
彼らの思い出は、やはり2004年に近鉄が失くなったという事で、惜別記念にCSテレビGAORAの『ベリーベリーbase!』で司会がストリークの週になった時に、山田氏が近鉄のビジター用ユニフォーム(胸に赤字で"Osaka"と書いてある)を着て番組をしてくれた事です(涙)本当に嬉しかったし、ありがたかったです(すいません)ただ欲を言えば、近鉄のホーム用ユニフォームを着てもらいたかった気も・・・ただ近鉄が大阪のチームというのがピンと来ないかたもbaseの客層では可能性があり、ビジター用の方がはっきりと大阪と書いてあるから、その方が得策やったかも(爆)他には2007年に関西大学で阪神タイガース検定を受験した際に、同じ教室で受験をし、しかも受験終了後に外の軒下で2人にサインを書いてもらった事です(大笑)2007年3月まで彼らがやってた『baseよしもと ガンラジ(ガンガンラジオ)』(この番組はこの後もっと続きますが、2007年3月にストリークはbaseよしもとを卒業するので、番組も卒業した・・・)という番組を僕は毎週熱心に聴いてたので、2人に「ガンラジ聴いてました。」って言ったら、もの凄く喜んでいました(汗)「実は僕、オリックスファンやのに、受けに来たんですよ」って言える訳もなく、いや言わん方が良かったしそれが大人としては正解なんでしょう・・・ただ個人的には彼らは、"8割が阪神ネタ"でしたから、欲を言えばもっと他球団のネタもやって欲しかった!ただ絶大な知名度を誇る阪神でこのウケですから、他球団のネタなんかしたら、一体どうなってたか?考えるだけでも恐ろしいですな(爆)
関西では、テンダラーと被ったのが痛かったかな(困)先のTHE MANZAIでテンダラーは、たけしに絶賛された事もあり、ここに来てますますテンダラーの知名度・露出度が高まりましたからねぇ(困)年齢も似た様な感じで共に阪神ファン、ただテンダラーは幼少期は阪神と南海ホークスファンやったらしいですが!関西ローカルタレント枠も、シャンプーハットと海原やすよ・ともこ・矢野兵動のポジションは不動であり、この位置には誰も近付けん訳で、近付いたとしてもテンダラーぐらいでしょう・・・何やかんやで取り入るのが上手そうなミサイルマンもちょっとその匂いがする(落ち込み)その中で野球という免罪符だけでは、生き残っていけなかったのかも(涙)
漫才としてはあまり評価してなかったけど、別枠で肩入れしてました、ストリークというコンビを(炎)吉本さん、今までお疲れ様でした(拍手)そしてありがとうございました(すいません)そして山田さん、ピン芸人でも頑張ってください、応援してますよ!