GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

松竹→吉本→不明→吉本

 これは太平サブロー・シローの所属経歴ですが、その大平(→誤植ではありません、コンビ解散後はこの名前)シロー氏が亡くなられたようです・・・シローさんは、現在関西を中心に活躍中の大平サブローさんの元相方でした。シローさんは、太平一門である漫才トリオ・「レツゴー三匹」師匠に師事し、1976年にサブローさんとともに「太平サブロー・シロー」のコンビ名で松竹芸能所属の漫才コンビとしてデビューしました。その後、毎日放送のテレビ番組『ヤングおー!おー!』出たさに吉本興業への移籍を密かに望みましたが、当時は吉本と松竹との協定で相互の芸人の引き抜きは禁じられていました。その事で悩んでいた所、レツゴー三匹師匠から弟子の立場を破門されました実は2人の心移りを知っていたレツゴー三匹が吉本へ行くことが可能になるように芝居を打っての事(従って師匠・弟子としての関係は続いている)。後にコンビ解消する事態になります。シローさんは、二度ほど他の芸人とコンビを組み直しましたが、上手くは行かなかったようです(涙)サブロー・シローは、1980年代俄かに湧いた漫才ブームという時代の波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立しました。1988年には、吉本から独立して東京の芸能プロダクションに所属、東京を意識してか、標準語でテレビ番組に出演していたようです(←Wiki頼み・爆)。1992年にサブロー・シローは、解散。
 1999年にシローさんは、吉本へ復帰しました(サブローさんは、もっと以前に復帰を果たしている)。当初は放送作家としての活動が中心だったが、弟子のマサヒコ(現:太平まさひこ)と漫才コンビを結成(大平シロー・マサヒコ)し、二人共もの真似を得意としている所もあり、もの真似を中心とした漫才をしてた模様!僕はこの頃、マサヒコさんはラジオに結構出てて、知ってましたね。たまに深夜の特番に出てたし、ABC朝日放送ラジオの『(桂)む雀・(河上)ひろみのときめきリクエスト』(毎週日曜・13:00~)では、レギュラーで番組途中から登場してましたし、そこでようもの真似を披露してて、相方のシローさんの話や「今度舞台するんで」といった告知をしてましたから。「同じ吉本所属の(マジシャン)マサヒロとマサヒコはややこしい!」と友人と戯れ言を話してました(ウインク)あんまり関係無いけど、この番組の途中でよう近鉄戦や阪神戦の中継が、入ってましたしね(ウインク)だから聴いてました(ラブ)大平シロー・マサヒコの解散も、この番組でマサヒコさん自身が何気なく言った瞬間も覚えています(困)以降シローさんは、ピンや放送作家として活動しました。とにかくもの真似が、上手な方でした(燃)あの紳助も「漫才では、太平サブロー・シローダウンタウンには勝てない」と敗北を認めた、漫才師でしたから、相当な実力者やったんでしょう!!ともかくシローさん、お疲れ様でした!合掌です(涙)
 あと昨日の『北野演芸館2』に自身設立の事務所、オフィス北野の漫才コンビでありツッコミのサンキュータツオは、お笑いの講義を大学でしているという触れ込みの"米粒写経"を満を持して出してましたが、う~ん確かに非常に計算された笑いですが、机上の計算で"頭で漫才してる"という感じやなぁ(汗)でもこの方の分析力は、凄いものがあります(燃)ただ漫才の分析が多く、コントはあまり分析をされてないようですが(爆)過去のM-1や先のTHE MANZAIの分析も非常に緻密で僕も参考にしてますし、なりますし、皆さんも一度彼のHPを覗いてみてください(笑)
http://39tatsuo.jugem.jp/