GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

お笑い冬の時代突入・・・

 昨年まで比較的高視聴率を誇ったR-1でしたが、今年は関西でも週間視聴率ランキングのベスト20に入ってませんでした!まぁ今まで3大全国大会(KOC・THE MANZAI・R-1[行く行くは、歌ネタ王も全国ネットになるとは思うけど]。個人的に勝手にそう呼称・思ってる[汗])の中でKOCだけ低視聴率なんが癪でしたが、これでめでたくないけどR-1も仲間入りした訳で、KOCだけ除け者にされなくて、安心した部分もありますが(笑)裏を返せば関西は、これで"漫才にしか興味の無い連中が増えたという事"でもありますし、"ますます多様な笑いを受け入れる土壌"がなくなったんやないですか!?(怒)もう「お笑いの街」なんて言えませんし、言う資格もございませんよ(アウト)皆さん、情熱はどこ行ったの?それともその要因も"吉本独占による弊害"から、世間も辟易して来てるんかなぁ?(困)
 それを象徴するかの様にオンバト第4代チャンピオンのハリガネロックが、20年目にして解散しましたね(困)「何故このタイミングで?」という"変なタイミングでの解散"となりましたし、不思議なタイミングはDA-DAと同じに感じました(落ち込み)ハリガネは、結成直後即戦力ですんげ~!Best10や爆笑BOOINGで名を連ね、1997年にはABCお笑い新人グランプリでの最優秀賞での評は、"伝統芸である「ボヤキ漫才」の継承もしている"とされてましたね、ボヤキや毒吐きばかりではなかったという事ですが・・・その後も心斎橋筋二丁目劇場→baseよしもとでも順調に歩を進めて行きましたね。オンバトでも快進撃でチャンピオン大会出場は、常連(OK)1998~2000年が、一番ええ時期やなかったかなぁ?(汗)僕は"もしもっと早くにM-1グランプリが、創設(開催)されていたら?"と考えると、間違い無く"ハリガネは優勝していた"と思いますし、その仮定の話は、ルート33ますだおかだにも言えたと思います(もしかしたら、DonDokoも?)!!もっとものちにますおかは、M-1優勝しますけども・・・オンバトの公式(成績)を単純に当て嵌めただけですが、時代の流れ的にね、あながち間違いやない意見やと思いますよ(落ち込み)M-1元年の2001年は、順当通り決勝進出を果たすと、最終決戦まで進出(でも古い持ちネタの引用もあり、ちょっと旬[ピーク]を過ぎてた感もあった)!"危険発言?もあり、自滅したみたいな格好"になりましたが、準優勝。それでも審査員のきよし師匠とテレビで視聴していた巨人師匠と桂文枝(当時:三枝)師匠は、「最終決戦は僕ら的には、ハリガネロックの方が、良かった」と評していたようです(拍手)優勝した中川家との差を埋める為に、2002年にますおかと同じタイミングで上京を決意。2年連続決勝進出も、敗北(困)この頃から"相方(大上邦博)を悪く言う「こき下ろし漫才」"が、目立つようになり、迷走し始めましたな(涙)2005年頃には、"コントに挑戦したり、ボケとツッコミの役割を入れ替えたり"とさらに迷走・・・元に戻したんは効果あったけど、輝きは戻らんかったかな・・・増田氏曰くネタ作成者の"ユウキロック(松口祐樹)は、「ケチ」やったようですけど「非常に真面目」な人間やったそうです!!ますおかにとってハリガネは、"事務所は違えど、ほぼ同期"で特にオンバトでの"戦友"のようです(燃)「オンバト2000年 年末スペシャル」でハリガネ・ますおかでの「コラボ漫才」もしてましたね(大笑)←僕は、まだ観た事ない(爆)ともあれ、ハリガネロックさんありがとうございました、お疲れ様でした(拍手)あと堺市民会館でライブとオンバトで目の前で観たアームストロングも解散です(困)このクラスで解散になるとは、厳しいですなぁ・・・アームストロングの発信は、2005年の木梨憲武MCの『ゲンセキ』ですが、この番組で残ったのってオリラジ・ハリセンボン・プラマイ・ジャル・梅小鉢ぐらいかぁ、あまり"出世(出来る)番組"でもなかったな(落ち込み)オンバトも終わりますし、「お笑い氷河期」到来は、"ボキャブラのみやってた時代"に近くなりますよ、ほんま(怒)真面目にやらん(考えん)と、またジャニーズや女性アイドルに喰われる時代になりますよ(炎)

  2ヶ月交代周期やなかったんやな、『七人のコント侍』(5期最終回)・・・今日の「インターネット合格発表」は、まあまあ良かった(笑)ただ"ネットあるある"の笑いになってたし、"ネットやってない人には、もう1つ伝わらん笑い"やったかも知れん現代世相や「詐欺犯罪」とも絡めてたし。