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GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

ジャパニーズドリームを掴んだ男!!

 草野球チーム「フランス座」(ストリップ劇場が、草野球チームを持ってた?)のエースからプロ野球に入ったという伝説の持ち主・土橋正幸(<現役時代>東映<監督>日拓[1973年後期のみの代理監督]―ヤクルト―日本ハム)氏が、亡くなられました・・・土橋氏は、硬式野球未経験ながら1954年オフに入団テストで合格し、東映に入団(ドクロ)←異例で、驚きの絵文字。「3年やってだめだったら、店を継ぐ」と父親と約束してでの入団であった・・・1958年5月の西鉄戦で、「9連続奪三振の日本タイ記録」(←現在も!!)「1試合16奪三振」とプロ野球最多記録(当時)を樹立し、同年は21勝を挙げました!翌年の1960年は、12勝23敗と開幕前の調整がうまくいかなった影響で大きく負け越したが、東映で2ケタ勝ったのも、200イニング以上投げたのも土橋氏だけであった!!球団から「12勝23敗だから年俸は10%ダウンだって言う。冗談じゃない俺が一人で頑張ってんのに、何が10%だ。」それで契約しないでいると当時巨人のコーチの川上哲治と選手の藤田元司が「巨人に来ねぇか?」と誘われたという(落ち込み)年が明けて土橋が東映と契約しないでいたら同年から東映の監督に就任した前年まで巨人の監督であった水原茂が「巨人の話は断った。俺は東映で契約のお金まで口出せる立場になった。だから減俸しない。」と言われ東映残留する事になった、という話も(笑)翌年の1961年には、30勝、防御率1.90の成績を残したが、同年に稲尾和久が42勝、防御率1.69を記録したため両方とも2位に終わるなど、タイトルに関しては不運でした(涙)そしてチームは初優勝目前で南海に敗れました(汗)逆転Vに沸き立つ南海ナインと鶴岡一人監督が両手を挙げて歓喜の胴上げをされるのをただじっと土橋氏はみつめていた。「あと残り試合3つ勝って優勝できれば、残りの人生の勝負事は全部負けても良かったのに・・・」と思ったようです。竹を割ったようなさっぱりとした性格の土橋氏がベンチに座ったまま、今にも泣き出しそうにつぶやいたというエピソードがあります。1964年まで7年連続2桁勝利を挙げた。稲尾氏は土橋氏について「スピードは僕よりあった。細かくコントロールするのではなく甘めでも打つなら打ってみろとばかりにストライクを投げ込む。」と語っている。
 1962年には17勝と数字を落としたが、球団初のリーグ優勝に貢献(冠)一方で3度のサヨナラ本塁打による敗戦を記録している・・・日本シリーズでは史上唯一、種茂雅之と2人でMVPに選ばれた(拍手)MVPの賞品の自動車は「みんなで取ったものだから、合宿所に置いてみんなで使う」とした逸話も残しました。しかし1965年は肩痛もあって4勝、1966年は6月26日に6勝を挙げるも7月14日の近鉄戦で激痛(病院)以降登板なし(困)1967年も他の箇所に故障を負い、同年限りで引退!無四球試合46は歴代4位でした。テンポの速い事を俗に"ちぎっては投げ"と言いますが、まさにそれで「江戸っ子投法」とも呼ばれました(ウインク)
 1973年の後期から日拓の監督に就任!後期の成績は3位であったが、球団が日本ハムへ身売りしたこともあり退任。土橋氏曰く「日拓で後期から監督になったときは、やりたくなかったのに説得されてだった。なのに球団身売りでサヨナラだからやってられねえよ。」と(落ち込み)その後野球解説者を経て、1984年からヤクルトの一軍投手コーチに就任。監督の武上四郎(<現役時代>サンケイ・アトムズ・ヤクルト<監督>ヤクルト)の辞任、武上の後受け監督代行に就任した中西太も休養し、5月23日からヤクルトの監督代行として指揮を執った。この時点で9勝25敗3分で最下位と低迷していた。中西氏は「途中からやってもらって苦労をかけた」と語る。6月29日から正式に監督に就任し、8月に15勝10敗、後半戦26勝23敗2分で巻き返し最終成績は5位で3年連続最下位は免れた(大笑)しかし!1985年・1986年と2年連続の最下位と終わりヤクルトの監督を退任する事となりました(落ち込み)1992年に再び古巣の日本ハムの監督に就任するも、金石昭仁(広島―日本ハム―巨人)をトレードで獲得し覚醒させるも、エース・西崎幸広(日本ハム―西武)の不振などにより、5位と成績は奮わず1年で解雇(困)翌年からは、野球解説者に戻りました。監督時代は華々しい成績は残せなかったが、解説者としてはきっぱりとした口調ながらも愛情あふれる解説が評判でした(OK)最近は体調を崩し、1年前の東映のOB会も中座したという。てか、つい最近まで「沢村賞の選考委員長」をやってなかったっけ!?(困)結構、急逝やないかな~?(涙)通算成績は、試455 162勝135敗 防2.66/試549 221勝303敗25分 率.422です。合掌です(涙)