GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

’12引退・退団選手個人的想い(セ・リーグ編)

 もうシーズンが始まってしまったけど、書きます(汗)めっさ、時間掛かったぁ・・・
<巨人>
真田裕貴(投手・巨人―横浜―巨人)試300 24勝27敗3S 防4.30
ルーキーイヤーから「心臓に毛が生えてる」かの様に人気球団のプレッシャーも高卒ながら感じず、2002年の新人王を獲得!しかしそれ以降は故障もあり、伸び悩む(汗)しかし横浜で気分一新出来たのか、中継ぎとしてやや花を開いた(笑)ポスティングで米挑戦もどこも手を挙げず、古巣のGに戻るも、Gの水の方が合わんかったみたいで・・・台湾球界へ挑戦中。
朝井秀樹(投手・近鉄楽天―巨人)試113 25勝33敗 防4.09
今は無きに等しい近鉄のドラ1・・・近鉄では成長する前に楽天へ行ってしまいましたが、楽天ではノムさんの薫陶を受け?飛躍した(2007年・2008年は、8・9勝!)(大笑)移籍先の巨人でも先発ローテを担ったのは、2010年の事!なのに2年アカンかっただけで、外様やからって2年で戦力外にするなんて(激怒)でも!!よう頑張りました(拍手)去就は未定のようです(落ち込み)
久米勇紀(投手・ソフトバンク―巨人)試62 5勝1敗3S 防3.72
2008年は新人王候補の活躍&北京五輪代表候補に挙げられる程の存在も、翌年以降は伸び悩み・・・にしてもソフも使いこなせんかったけど、巨人もこういうタイプを使いこなされへんよなぁ(汗)日立製作所硬式野球部へ。
星野真澄(投手・巨人)試43 1勝0敗 防4.37
育成枠+「星野仙一桑田真澄を足した様な名前」とGやからもあるけど、話題になる上、脚光を浴びるも・・・育成で再契約のようです。
中谷仁(捕手・阪神楽天―巨人)試111率.162 4本17点 安28
阪神中込伸にあれをぶつけられて・・・については、触れてはイカン事(ダメ)リードには定評があり、トレイ・ムーア阪神オリックス)とも相性は抜群{笑顔}ノムさんともウマが合い、2009年の楽天2位にも大きく貢献{力こぶ}特に終盤にはノムさんの信用を受け、スタメンに定着!!この終盤の追い込みが無ければ、2位になれなかったでしょう!あとフェルナンド・セギノール、トッド・リンデン、中谷の3者連続本塁打は、阪神の1985年に匹敵するほど(アウト)巨人のブルペン捕手に。
エドガー・ゴンザレス内野手・巨人―米―巨人再入団)試157率.253 16本63点 安117
結局、自由契約にすんのかーい{ウインク}昨年の一時期は対左投手に強くて重宝してたけどなぁ(汗)やはりボウカー(CSや日シリで活躍)とは、"印象度"の違いやなぁ(困)
田中大二郎内野手・巨人)試31 率.135 0本1点 安7
将来の主軸候補・有望株やったんちゃうんかぃ!?(怒)の!育成下手が!!巨人の球団職員に。
土本恭平(投手・巨人<育成枠>)試4 0勝1敗 防7.36
すいません、ノーコメントです。
宮本武文(投手・巨人<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
古川裕樹(投手・巨人<育成枠>)試6 0勝0敗 防4.50
すいません、ノーコメントです。巨人の打撃投手に。
齋藤圭祐(投手・巨人<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
円谷英俊内野手・巨人<育成枠>)試21 率.143 1本5点 安3
ルーキーイヤーから、オープン戦で起用されるなど期待されてたはずやが・・・巨人の球団職員に。
財前貴男(内野手・巨人<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
伊集院峰弘(捕・内野手・巨人<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
小林高也(外野手・中日―巨人<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
<中日>
金剛弘樹(投手・中日)試27 0勝1敗 防8.16
一時期は、中継ぎの1枚のピースやったとはいえ、勝ちパターンではなかった・・・他にはかつての日ハムの主力投手であった松浦宏明(日本ハム―横浜)を意識して投手としては珍しい"背番号0"を付けるも松浦クラスにはならず(困)一般企業に就職。
小笠原孝(投手・中日)試191 31勝40敗3S 防4.20
良い球を持ってましたよ!球も速かったですし!!ただ"ムラッ気があった"というか、良い年と悪い年の差も顕著でした(汗)ウルトラマンセブンと同時期に台頭し、球団もそんなつもりは無かったでしょうが、僕のイメージとしては「山井とセット売り」も(爆)中日二軍投手コーチに。
齊藤信介(投手・中日)試36 3勝2敗 防2.89
すいません、ノーコメントです。中日の球団職員に。
宋相勲(投手・中日)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。外野手の育成選手として再契約。
髙島祥平(投手・中日)試1 0勝0敗 防45.00
すいません、ノーコメントです。引退する模様。
英智蔵本英智)(外野手・中日)試831 率.237 11本115点 安293
「バカ肩」とでも申しましょうか、とにかく強肩は「日本人ナンバーワン」に近かったですし、肩だけでなくもちろん"守備も良かった"(OK)"守備だけで飯が食える選手"というのは、彼みたいな選手を指すんでしょう(大笑)打撃もパンチ力もあり、意外性がありましたが、本当に"意外性"でその域を出れんかったな{落ち込み}まだ出来る選手やと思いました!!中日二軍外野守備走塁コーチに就任。
赤田龍一郎(捕手・中日<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
加藤聡(外野手・中日<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
赤坂和幸(投手・外野手・中日<育成枠>)試1 0勝0敗 防0.00/一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
井藤真吾(外野手・中日<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
<ヤクルト>
林昌勇(投手・ヤクルト)試238 11勝13敗128S 防2.09
まぁ化けもの投手でしたな(ドクロ)サイドスローで160kmのボールを投げられる投手なんてそうそう居ませんよ(ドクロ)シーズン終盤に疲労からか捕まるパターンが毎年のお約束になってました(汗)が、比較的安定してた"守護神"やなかったかなぁ?2009年のWBCでは延長戦でイチローと勝負してくれたし、親日家?(ウインク)
小野寺力(投手・西武―ヤクルト)試310 23勝24敗59S 防4.05
西武時代は、豊田清(西武―巨人―広島)去りし後の守護神として期待されましたが、良かったんは去った直後の2006年だけに等しかったですね(困)やはり一番うしろになると、中継ぎとはまた勝手が違うんでしょうなぁ(落ち込み)その不振を引きずってか、中継ぎでも捕まりだす傾向に・・・西武の球団職員に。
一場靖弘(投手・楽天―ヤクルト)試91 16勝33敗1S 防5.50
ご存知"裏金問題で当時の3球団のオーナーを辞任に追い込んだ男"(困)ですが、裏金なんて探し出したらいくらでも出て来ますし、彼は"被害者"と言って良いでしょう(ダメ)"球が速いだけでは、プロでは通用せんのか?"(困)
加藤幹典(投手・ヤクルト)試23 1勝3敗 防9.13
マチュア時代は、長谷部(楽)と並び結果的には選ばれんかったものの、「北京五輪代表候補」として名が挙がったほどでしたがプロでは・・・ヤクルト本社の宅配営業部に。
渡辺(渡邉)恒樹(投手・楽天―ヤクルト)試159 5勝9敗 防4.13
楽天1期生&初代背番号18&「ナベツネ」登録か!?という話題も・・・
山岸譲(投手・西武―ヤクルト)試76 6勝4敗1S 防4.06
すいません、ノーコメントです。西武の球団職員に。
木下達生(投手・日本ハム―中日―ヤクルト)試8 2勝2敗 防3.43
すいません、ノーコメントです。引退するようです。
福川将和(捕手・ヤクルト)試305 率.212 19本86点 安136
代打として時折活躍するも、捕手としては、ケガが多かったかな・・・ヤクルトのブルペン捕手に。
福地寿樹(和広)[内・外野手・広島―西武―ヤクルト]試1009 率.272 20本184点 安650
"足のスペシャリスト"でしたね{拍手}広島時代は、二軍で4年連続盗塁王・一軍でも4年連続二桁盗塁!しかし野手(特に外野手・前田智・緒方・嶋・森笠)の層の厚い広島では、レギュラーになれずひたすら「代走要員」(落ち込み)しかし2006年のシーズン途中に西武へトレードになると、打撃でも才能を発揮(OK)"盗塁王獲得"はならずも、貴重な外野の一角に!しかし生え抜きでもなく・大砲タイプでもなく・強肩タイプでもなかった為、FAのプロテクトからは漏れていた為、石井一久人的補償でヤクルトへ移籍(困)しかしセ・リーグに戻っても2008年は、盗塁王も獲得!!ヤクルトでも外野の一角を占めたが、2010年に小川監督代行が"チーム貧打テコ入れ"の為に"泣く泣く福地を外し、畠山らを起用する"方針を打ち出され、再び控えの道を歩む事になり、代走・守備固めや時々スタメン起用となった・・・代走要員としても貴重ですし、「まだ出来る存在!!」やと思うんですけどね(涙)ただ本人は「盗塁を決めてはいるけど、脚も限界に近い!」とも言ってます・・・ヤクルトの二軍外野守備走塁コーチに就任。
宮出隆自(ヤクルト―楽天―ヤクルト・投手・内・外野手)試49 6勝5敗 防4.73/試701 率.277 39本216点 安458
打撃成績は、投手時代に入った打席の成績も含む。長身を活かした投手として期待されるも、故障により投手生命を断念、野手転向(汗)しかし!!対応能力が高いのか、まるで「最初から野手やったんでは!?」と思う程、早くから頭角を現わす{笑顔}2005年には後半戦から5番打者としてクリーンナップの一端を担う。規定打席には達しなかったが、率.320、8本塁打、46打点の好成績を残した。順調に成績を残していたものの、2007年に岩村明憲がメジャーへ移籍する為、その穴埋めとして外野手から三塁へコンバートされましたが、急増のサードはエラー連発(困)当然得意の打撃にも影響を与えた{悲しい}程なく一塁手へ転向も、"コンバート前よりは打撃も精彩を欠いた"・・・2009年には開幕直前に楽天へ移籍(汗)「左キラー」として準レギュラーも楽天初の2位に大きく貢献(力こぶ)再びヤクルトに戻って、主に"対左投手での代打"や"対左投手での時々スタメン"としてチームに貢献!しつこい程に、"対左投手"と書いた様に「とにかく左に強かったぁ」(ウインク)福地と同様「まだ出来る存在」やと思うんですけどね(困)ヤクルトの二軍打撃コーチに就任。
上野啓輔(投手・ヤクルト<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。台湾プロのテスト結果は不合格。 これを機に現役を引退する意向を示している。
麻生知史(内野手・ヤクルト<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。ヤクルトの二軍サブマネージャー兼用具担当に。
北野洗貴(外野手・ヤクルト<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
曲尾マイケ(外野手・ヤクルト<育成枠>)一軍出場なし。
先日WBCブラジル代表で出場してましたが・・・
<広島>
小松剛(投手・広島)試30 6勝6敗 防5.99
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
相澤寿聡(投手・広島)試5 0勝1敗 防12.46
すいません、ノーコメントです。広島の打撃投手に。
石井琢朗(忠徳)[投手・内・外野手・大洋・横浜―広島]試28 1勝4敗 防5.69/試2413 率.282 102本670点 安2432
プロ入り後しばらくは、投手としての生活・・・芽は出ませんでしたが、1992年に"自ら志願してでの野手転向"!と、同時に登録名を琢朗に(笑)活躍し始めたのが翌年からなんで、「横浜大洋ホエールズの石井」というよりも「横浜ベイスターズの石井」というイメージでしょうね(ウインク)盗塁王も同年に受賞!三塁のレギュラーとして定着!!1996年からショートに転向も、打撃も守備も成績は下降する事もなく(炎)1998年には、ご存知チームの日本一に大きく貢献(力こぶ)セ・リーグを代表するトップバッター&遊撃手となる(大笑)以降2003年を除けば、2000本安打を達成する2006年までは、無敵な存在であった!しかし!!2007年は仁志敏久(巨人―横浜―米)の加入により、仁志は「二番不適合打者」であった為、"一番打者としてしか起用出来ない"(困しかし琢朗も"一番打者タイプ"である!打順としてはダブってしまい、二番経験もあり融通の利きそうな琢朗が二番を打つ事に(落ち込み)仁志は横浜で甦ったものの、久々の二番で琢朗の成績は、急降下(困)2008年オフには、戦力外通告を受け、"惜しまれつつ"広島へ移籍(涙)往時の活躍はなかったものの、精神的支柱としてチームを支える役目を果たす!タイトルは、盗塁王を1993・98・99・2000年に獲得!彼が野球ファンから愛されたのは、"横浜時代のヒッティングマーチを広島に移籍してからも全く変更なく使用された"事でしょうな(OK)それだけでなく引退試合マツダスタジアム横浜スタジアムとそれぞれで行われた事も人柄を現わしてますよね?(大笑)そして最後の「ドラフト外選手」ですね(落ち込み)野球センスの塊の様な選手やったけど、実は苦労人でした!!あと特筆すべき記録は、「2000本安打以上を放った選手で投手としても勝利を挙げた」のは、川上哲治と彼だけ!!コーチ兼任時と全く同じの広島の一軍内野守備走塁コーチに。
ブライアン・バーデン(内野手・広島)試64 率.281 3本20点 安59
二番打者タイプの助っ人が、2年もよく在籍したなぁ(汗)これぞ!「広島マジック」?(ウインク)
山本芳彦(内・外野手・広島)試79 率.252 0本4点 安27
ご覧の通りチャンスを与えられてましたが・・・投手出身ではないが、広島の打撃投手に。
井生崇光(捕・内・外野手・広島)試159 率.266 1本19点 安74
起用は2006年のブラウン体制になってから、対左投手時が主{汗}有事の時の為にも、捕手にも挑戦(あくまで挑戦[汗])。ただこういう「スーパーサブ」が居るから、チームが助かるんですよね!!プロ13年目での初本塁打は、史上二番目タイの遅さとなった。広島のスコアラーに。
末永真史(内・外野手・広島)試236 率.268 7本40点 安116
準レギュラー近くまでは行ったものの、広島の層の厚い外野陣に阻まれ、レギュラーにはなれず(この時期は森笠繁[広島―横浜]同様他チームなら、レギュラー獲れたかも・・・[汗])!一時は「左の代打の切り札」も(落ち込み)凄い打撃の良い選手やったけど、もう一つ"殻を破れんかった"なぁ(困)
永川光浩(投手・広島<育成枠>)一軍出場なし。
ご存知!永川兄弟の弟{ウインク}兄も最近ご無沙汰ですが・・・育成選手として再契約。
中村亘佑(捕手・広島<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
中谷翼(内野手・広島<育成枠>)試4 率.143 0本1点 安1
選手名鑑では、一番最後に載ってる事が、多かった印象が(汗)"当たれば飛ぶタイプ"やったんでしょうが・・・育成選手として再契約の予定
阪神
蕭一傑(投手・阪神)試2 0勝1敗 防2.16
阪神のドラ1って(略)ソフトバンクの育成選手に。
鄭凱文(投手・阪神)試27 2勝1敗 防4.33
今年(2013年)からジェンから"ゼン"と呼ぶようです。戦力外扱いですが、DeNAの育成選手になりましたし、現段階では支配下登録されました!
小林宏(宏之)[投手・阪神―ロッテ]試370 75勝74敗29S 防3.53
元々は、「ロングリリーフや中継ぎのスペシャリスト」(OK)ただ先発投手不足のチーム事情から、2003年の途中から先発へ転向&さらなる飛躍{笑顔}2005年には清水直・渡辺俊に続く準エース!他チームなら、エース級!!元々投手とは思えんぐらいの打撃の持ち主で、若い頃は"打者転向"も検討されたほど(汗)その"打"でも貢献し交流戦では「初代MVP」受賞者(拍手)日本一にも大きく貢献(冠)ましてやあの身長にあの顔ですから、人気が出ない訳がない(ウインク)ただ2008年頃から成績は低迷し、2010年にクローザーに転向・・・まずまずの成績で転向は功を奏したし、チームも日本一に!!ただ"安定度"は、微妙な所でした(汗)晴れてFA取得で米挑戦も、「メジャー契約」でのオファーはなく(困)結局阪神に移籍・・・シーズン序盤は最悪、一旦持ち直したものの、再び不振に(涙)"統一球で防御率3.00をどう見たか"ですな(汗)2012年は登板機会もなく、「不良債権」呼ばわりされる始末(涙)で、ロッテ時代の輝きが嘘かの様にあっさり戦力外(困)米球界に挑戦のようです。
石川俊介(投手・阪神)試14 2勝1敗 防3.86
すいません、ノーコメントです。阪神の打撃投手に。
松崎伸吾(投手・楽天阪神)試43 2勝16敗 防6.04
阪神はこういうタイプをよう使わんよなぁ(困)加藤康介が活躍してるのは、本人には悪いけど、奇蹟に近い?・・・
横山龍之介(投手・阪神)試2 0勝0敗 防18.00
すいません、ノーコメントです。会社員に。
吉岡興志(投手・阪神)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。
城島健司(捕・内野手ダイエーソフトバンク―米―阪神)試1323 率.296 244本808点 安1406
言うまでもなく、「強肩と強打の捕手」でした(大笑)やはり"ものになる"には、時間が掛かりましたが・・・1999年の日本一にも貢献(冠)この年の打率は.306。2001年は、打率は.258と低迷したが、本塁打は自身初の30本越えとなる31本塁打(リーグ9位)を記録。同年、小久保が44本塁打、松中が36本塁打井口資仁が30本塁打を記録し、パ・リーグ初の30本カルテットを形成した事もあり、強力打線の一翼を担う。翌年辺りから彼らの打線は、「ダイハード打線」と呼ばれるようになった。2003年は、119打点を記録した。松中、井口、ペドロ・バルデス[ダイエー]と共にプロ野球史上初の"100打点カルテット"を形成(ドクロ)さらに日本一!!また2003・04年のアテネ五輪予選・本戦には、今回の阿部と同様「四番・捕手」の重責!!同じ右打者という事で、彼の"非凡さ"・"勝負強さ"に自身もダブらせてたんでしょう、長嶋監督は(炎)僕も小久保ケガ離脱の2003年には、個人的には松中ではなく「四番は、城島で行った方がええような」って思ってました・・・"松中は完璧主義者やったし、思い悩む事が多い・打率もやや低い"って思ってたんで、そういう理由から「城島!四番・キャッチャーは、あなたなら、出来る!!」と。アテネ五輪では、"プロ参加では唯一"の(銅)メダルを獲得!!2005年のオフには、"捕手としては初のメジャー挑戦"(ドクロ)米にはこれぐらいの選手はゴロゴロ居るのか"活躍度は、まあまあ"って所やったんかな?(汗)しかしながらも、2009年のWBC優勝に貢献(冠)同年オフに日本プロ野球に復帰(汗)まさかの(驚)阪神に所属も、良かったのは1年目の2010年だけ!(汗)晩年はヒザの故障に悩まされ、小林宏同様「不良債権」呼ばわりや扱いをされ、"かつてのウルトラ捕手"の面影は、消えてしまってましたな(涙)捕手という所にこだわらなければ、まだ出来てたと思いますが(困)
金本知憲(外野手・広島―阪神)試2578 率.285 476本1521点 安2539
語るまでもない知名度を誇るご存知「世界クラスの鉄人」(力こぶ)入団当初は今では考えられん程"線も細く"、"とてもこんなにも活躍する選手"とは思われんかったようです(汗)ただ代打でちょくちょく出場してる間は、多少は"パンチ力のある選手"で「やや将来性のある選手」やったそうです・・・故障などで休みがちな彼に「この世界、代わりになる選手はいくらでも居る!お前が休むという事は、他の奴にチャンスを与えるという事や!そんな事でどうする!!」と叱責したのが、当時広島の三村監督やったそうです(笑)こういった経緯から彼の信念は、「ケガは自身がケガと言わなければ、ケガではない」となったそうです!1995年辺りからレギュラーとなり、「恐怖の7番打者」として君臨する(力こぶ)当時の広島は強打者が多く、前田智、江藤、ルイス・ロペス、緒方といった具合で、"他球団なら、クリーンアップを張れてたかも"です(困)しかしそういった主力も故障や移籍が相次ぎ、2000年には4番を打ち、トリプルスリーを達成(笑)2001年には、本人が引退会見でも言った様に「連続試合無併殺記録」を達成!2003年に、阪神へ移籍(汗)"もう少し球団が誠意ある交渉をしてれば、広島に残留してた"のに(ダッシュ)本人も「出て行く理由はあまり無かったし、広島にもたくさん愛着があった」と申してます・・・同年の阪神では3番に座り、成績は落ちたものの、"一塁走者・赤星の盗塁の妨げにならぬよう"自身は「黒子・自己犠牲」に徹し、リーグ優勝に貢献!!2004年に日本記録の「701試合連続フルイニング出場」を達成(クラッカー)2005年のリーグ優勝にも貢献!2006年には、カル・リプケンの世界記録を破り「904試合連続・8244フルイニング出場」を達成(拍手)やがて2010年に途切れるまでの1492試合連続まで延ばす(大笑)フルイニングの記録更新は、途切れる(汗)2011年には、さらにフルイニングを取っ「1766試合連続出場」で連続出場もストップ・・・惜しくも衣笠氏の「2215試合連続出場」には、あまり及ばず(困)しかし!!!まぁ、とてつもない記録と選手でした、お疲れ様でした(拍手)野球解説者に。
野原裕也<内・外野手・阪神>試22 率.192 0本0点 安5
すいません、ノーコメントです。独立リーグの富山へ。
甲斐雄平<外野手・阪神>一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。引退するようです。
狩野恵輔(捕・外野手・阪神)試247 率.257 11本56点 安147
2007年に「もうあまり後がない」という状況で、プロ初安打が、サヨナラタイムリエンタイトルツーベース(クラッカー)そこから「右の代打の切り札」や"ラッキーボーイ的存在"に!ただ大活躍というものではなく、関西マスコミの悪い癖で騒ぎすぎた(怒)か翌年には、早くも成績下降(困)過去の阪神の例で金本氏も批判している"ちょっと活躍したぐらいで、もうスター扱いする→だから阪神の選手は勘違いするんや!"に彼も当て嵌まったんか?と思いきや、これまで苦労して来ただけあって、彼が低迷してたのは、それが原因ではなかった(笑)2009年は正捕手・矢野の故障出遅れもあり、正捕手となる!!やっと立派な生え抜き捕手が育ったのもつかの間、城島獲得(激怒)により出場機会が激減すると見られ、打撃を活かす為に外野手転向・・・と同時に、打撃も影を潜めた(涙)育成選手として再契約。
原口文仁(捕手・阪神<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
藤井宏政(内野手阪神<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
黒田祐輔(投手・阪神<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。育成選手として再契約。
DeNA
清水直行(投手・ロッテ―横浜・DeNA)試294 105勝100敗 防4.16
即戦力の期待に違わぬ"2年目から投手として活躍"!2002年には、ローテ投手を担う。ただ入団時から球が軽いのが難点で、被本塁打が非常に多く「幕張の花火師」の異名も持つ事になる(ウインク)2004年のアテネ五輪のメンバーでもあり、銅メダル獲得に貢献(拍手)2005年には、ロッテの2位ながらもプレーオフを勝ち抜いての日本一にも貢献!!さらに翌年の第1回WBCでは、魔のアメリカ戦に先発投手でしたが、あの時も花火を浴びてましたなぁ(汗)ただ世界一に貢献したのも、事実(クラッカー)あと彼で忘れてはならないのは、2008年のシーズン前に夫人を亡くされ、失意の中シーズンに突入しましたが、オープン戦から好投し、13勝を挙げた事です!!!本当によく頑張りましたよ、彼は!!2010年に横浜移籍の1年目は打線の援護が無かったのもありましたが、負け越したし防御率も良くはありませんでしたが、二桁勝利の10勝を挙げました!ただその後は、ヒザの故障に悩まされ(困)テレ東のネオスポーツなどで解説等をしてますし、浪人しながらでの移籍先を探すようです・・・
ブランドン・マン(投手・横浜・DeNA)試28 3勝9敗 防4.27
すいません、ノーコメントです。米球界挑戦へ。
古村徹(投手・DeNA)一軍出場なし。
1年で育成枠に降格って・・・育成選手として再契約。
佐村・トラヴィス・幹久(投手・DeNA)一軍出場なし。
1年で育成枠に降格って・・・育成選手として再契約。
クレイトン・ハミルトン(投手・横浜・DeNA)試27 1勝4敗 防7.25
昨年のシーズン途中で解雇されてます・・・
新沼慎二(捕手・横浜・DeNA)試143 率.195 4本14点 安42
2006年にプロ入り9年目にして初安打・初本塁打を放ち、9年目にしてのホームランは、遅い方の記録である(汗)時折、「ビックリ箱ホームラン」を放つ選手で、「イケメンラッキーボーイ」(ウインク)"記録よりも記憶に残る男"でしたか?DeNAの二軍育成兼バッテリーコーチに就任。
大原淳也(内野手・横浜・DeNA)試1 率.000 0本0点 安0
すいません、ノーコメントです。独立リーグ香川へ。
高森勇旗(勇気)[捕・内野手]試2 率.250 0本0点 安1
すいません、ノーコメントです。物真似の技術を生かしてタレントに。そう言えば、そんな事が書いてありましたなぁ(汗)あまりに前の話で、忘れてましたわ(爆)
小林公太(投手・横浜・DeNA<育成枠>)一軍出場なし。
すいません、ノーコメントです。クリーブランド・インディアンスマイナー契約
<番外編>
松井秀喜(外野手・巨人―米)試1268 率.304 332本889点 安1390
想いは前述してるので、省略。
佐伯貴弘(内・外野手・横浜―中日)試1895 率.277 156本795点 安1597
大洋<監督>横浜―ロッテ)監督は、"采配や勝利を導くのは苦手"やが、"育成に長ける監督"でして、近藤は監督としてルーキー・選手としてもルーキーやった佐伯を"将来性を見込んで"、起用しました(笑)1996年には、規定打席に到達!1998年は、中根仁近鉄―横浜)と併用ながらも、6番・右翼を担い、「マシンガン打線」の一員として、日本一に大きく貢献(クラッカー)2001年はマシンガン打線崩壊に近い中、"ほぼ1人で気を吐いていた"印象が!!2004年の「日米野球」では、日本人野手で唯一の本塁打を放(ドクロ)2005年には、"強い精神力"を買われ四番に座る!その実力を如何なく発揮し、横浜は借金1ながらも、4年振りの3位のAクラスに笑顔}翌年も同じ様な活躍を期待されたものの、極度の打撃不振で打率が2割前後に低迷。それでも牛島和彦(<現役時代>中日―ロッテ<監督>横浜)監督は、佐伯の4番での起用に固執した為、チームも低迷し結果的には監督解任の原因にもなった(困)6月になってからは成長を見せていた村田修一に4番の座を明け渡した・・・しかし翌年以降は、"さすが!元四番"という事もあって、それなりの成績を収めて行った(炎)2010年オフに中日へ移籍したのは、立浪和良の後釜の「代打の切り札」要員と目された入団と見る。5月20日の対西武戦で移籍後初のスタメン出場を果たし、4安打を放った。41歳としての4安打は球団史上初の記録であった。また、この年には球団の三塁打及び本塁打の最年長記録を更新した。しかし中日では、1年で戦力外通告に(困)1年以上の浪人生活も、他球団から入団のオファーもなく、ロッテの入団テストも不合格で、ついに現役引退を決意(涙)1年以上も"気持ちを切らさずに浪人生活を続けた"辺りに「永遠の野球小僧」という感じがしますね(大笑)
門倉健(投手・中日―近鉄―横浜―巨人―韓国・SK―韓国・三星―伊達聖ヶ丘病院)試302 76勝82敗10S 防4.36ルーキーイヤーからローテ入りを果たすも、中日ではあくまで"四・五番手投手"(涙)1999年1年不振やっただけで、近鉄にトレードされる(困)というのは、"近鉄ではエース候補"として迎えられた訳で、その話を伝え聞いた星野仙一監督は、「あいつをエースとして考えているようでは、近鉄も大した事ない球団やな。」と言ったとか言ってないとか(少怒)まぁでも、確かにおっしゃる通りやったんですよっ(爆)近鉄時代は、移籍初年度の2000年、先発ローテを担い、7勝9敗とまずまずの成績を残す。翌2001年は開幕投手を務めたものの、初回にいきなり5失点を喫する等、6失点の大乱調で2回途中で降板(困)しかし、味方打線の猛反撃で乱打戦の末にチームは白星をあげた。この試合に象徴されるように、チームは投手陣が崩壊しながらも打線の奮起で執念の逆転勝利をあげる試合が多く、結果的にパ・リーグ優勝に貢献?した・・・なお、門倉自身は先発ローテーションの一角を担い、8勝5敗の成績を収めたものの防御率は6.49と、チームの投壊に足並みを揃えてしまった{落ち込み}ただあの「アゴが長くしゃくれ顔」は、インパクトや親しみがわき易く、生え抜きでないにも関わらず関西ローカルながらも『551 蓬莱』の「アイスキャンデー」のCMに近鉄の一員として抜擢されるなど、幸運もありました(汗)2003年は一時期好調で6勝をあげて持ち直したが、同年オフに横浜へ移籍!2005年8月20日の対中日戦で勝利投手となり、史上4人目の「全球団勝利」を達成(ただし達成時点の全球団であり、自身が在籍した近鉄からは勝利を挙げていない)。自己最多となる11勝を挙げる。2007年には、FAで巨人へ移籍。その後はあまり芳しくなかったが、韓国の水が合ったのか同地では、活躍(ウインク)2011年には、「日韓プロ通算100勝」を達成(OK)しかし徐々に調子を落とし、2012年に楽天や日ハムの入団テストやトライアウト受験も、不合格(涙)引退を決意!!韓国・三星で投手インストラクターに就任。
高津臣吾(投手・ヤクルト―米―ヤクルト―米―韓国・ウリ―米―台湾・興農独立リーグ・新潟)試598 36勝46敗286S 防3.20
ご存知!岩瀬に抜かれるまでは、日本プロ野球最多セーブ保持者でしたし、日米通算でも300Sは雄に越えている日本プロ野球界最高のクローザーの1人でした(拍手)もちろん、名球会入りも果たす{炎}入団当初は先発やったものの、ノムさんの"ええ者はええ"理論?で、1993年途中に当時は珍しい"球がそんなに速くないサイドスローの投手"の彼を守護神として起用した(他には、この起用は潮崎哲也[西武]ぐらいしか居なかったんやないでしょうか?)!!これがズバリ的中し、1993年の日本一の胴上げ投手に(大笑)1994年には、初の最優秀救援投手を獲得。1995年も日本一!1997年はシーズン序盤の不調と伊藤智仁の復活と抑え転向によって、中継ぎ投手として起用されるが、チームの日本一に貢献。1998年は不調も、1999年は、復調し最優秀救援投手のタイトルを獲得。2001年も最優秀救援投手を獲得、日本一に大きく貢献し胴上げ投手(クラッカー)2003年も最優秀救援投手を置き土産に、メジャー挑戦・・・1年目は活躍したものの、2年目はあまり通用せず(汗)2006年に古田敦也兼任監督就任に伴い、復帰要請を受けて、ヤクルトに再入団(少笑)同時に石井一久(現:西武)も復帰が決まり、かつての大物投手2人を取り逃がした恩師・ノムさん楽天監督は、嫉妬と恨み節から「あいつらは昔から、ホモなほど仲が良いからなぁ・・・」と嘆いてましたね(困)2006年シーズン当初は、中継ぎを任されたが、石井弘寿五十嵐亮太が故障離脱した後は主に抑えを務めた。そこで日米通算300セーブを達成。このシーズン、チーム最多の13S挙げた。日米合計で通算300セーブを達成した日本人選手は、佐々木主浩に次いで史上2人目。翌年は前年同様、抑え投手を任された。6月30日に登板したその夜に宿舎のホテルで入浴中に足を滑らせて転倒し、左足親指を剥離骨折し戦線離脱(涙)夏場には救援失敗を繰り返し、8月半ばから再び二軍に降格(困)約1か月後に一軍へ復帰し抑えに復帰。最終戦翌日の10月10日、戦力外通告を受けた(落ち込み)さらにNPBの球団からのオファーも無く・・・流浪の日々を繰り返す(汗)2010年に台湾・興農と契約。日本、メジャー、韓国、台湾と世界4ヶ国(地域)のプロ野球リーグを経験した初の日本人選手となったし、この記録は高津が唯一の人物である(ウインク)台湾球界では活躍した!この頃は、"かつて何億円も稼いでいたような人が、公園で着替えをするというような野球環境"でも、「苦境に思うかも知れんけど、野球が出来る事が、楽しくてしょうがなかった」っていう心境やったそうですね(大笑)2011年、日本の独立リーグ・新潟への入団が発表される。名球会会員が独立リーグでプレーするのは史上初(ドクロ)さらに2012年より新潟の選手兼任監督に就任、この年で引退・・・いやぁ、激動の野球人生でしたな!!!長く現役をやったという意味では、岩瀬と双璧で大魔神よりは、上やったといってよく、"日本プロ野球界最高の守護神"やったかも(OK)本当に長い間、お疲れ様でした(拍手)野球解説者に。