GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

背番号41→58→41

今日、<色:#ff6600><特大><太>稲葉篤紀(日)</太></特大></色>が、<色:#ff0000><特大>通算2000本安打</特大></色>を達成ーっ!!!<色:#ff00ff>真におめでとうございまーす</色>{クラッカー}<下線>プロ入りも偶然でここまで期待されてた選手やなかったみたいですが、</下線><大>これも本人のたゆまぬ努力の成果でしょう</大>{笑い}有名な話ですが、<下線>当時ヤクルト監督のノムさんが息子明治大学時代のカツノリ(野村克則)</下線>[現役時代は、ヤクルト―阪神―巨人―楽天]<下線>の試合を観る為に神宮球場に行った時に</下線><太>たまたま稲葉の打席それもホームランを放ったのを目の当たりにし、「この選手のインコースのさばき方は並やない!」と思い、ドラフト指名リストに入ってなかったものの、急遽スカウトとフロントに頼み込んで獲った</太>(ドラフト3位で)<太>選手でした</太>{炎}<斜>それにノムさんのお眼鏡に適う選手なんてそうは居ないですし、アマチュア時代の選手から絶賛される選手なんて殆ど居ないのですが</斜>{汗}アマチュア時代にノムさんのお眼鏡に適った選手は、<色:#996600>山倉和博(現役時代は、巨人)</色>・<色:#000099>井端弘和(中)</色>ぐらいなもんです・・・ましてや投手なんて、まぁ自身が投手やなかったから、あくまで打者目線でしか判断出来んていうのもあるんでしょうが(爆)そのノムさんの薫陶を受け、<下線>ルーキーイヤーから主に2番や6番で活躍</下線>{拍手}<色:#ff6600>その後ケガも多かった</色>(2002年にはヒットでバッターが打ったバットを打席周辺から引こうとした所、ホームに帰って来たランナーと接触してケガをし登録抹消{病院}[=あり得んケガ]になった事もありました{困った})<色:#ff6600>り、</色><色:#ff6600>ヤクルトの外野の層の厚さに一時期レギュラーを奪われた</色>(<太>高橋智</太>・<太>佐藤真一</太>[現役時代は、ダイエーヤクルト]・<太>副島孔太</太>・<太><大>真中満</大></太>らに)<色:#ff6600>時期もありました・・・</色>しかし何とかほぼレギュラーの座を確保・・・しかしFA宣言でメジャー行き宣言も、獲得球団は無く{困った}<下線>止む無くギリギリまで待ってくれて唯一声を掛けてくれた日本ハムに入団</下線>{汗}<太>1年目は坪井智哉(現役時代は、阪神日本ハムオリックス)との競争により、目立った活躍はせず背番号も58・・・</太>しかし翌年には慣れ親しんだ背番号を41にし、人望や人柄からもまるで今まですっとパ・リーグや日ハムに居たかのような存在となり、簡単に溶け込みましたね{笑顔}<太><大>さらに成績も充実し坪井からポジションを奪い、2006年の日ハムリーグ優勝に貢献!!</大></太>元々ヤクルト時代から攻守交代時には、全力疾走でベンチに戻る姿勢も評価され「スピードアップ賞」を受賞した事もあります{OK}そういった所から仙ちゃんも「見本にすべき選手・教科書の様な選手」と賛辞を辞さない!!だから当然の如く北京オリンピック予選・本戦にも招聘されましたね。<下線>メダル逸でしたけど、もし稲葉や成瀬(ロ)が居なかったら、4位にもなれん所でしたよ!!</下線>4位で立役者言うたらおかしいけど、彼ら2人が影の立役者でした!しかしそれも<特大>翌年の第2回WBCで払拭され、稲葉は日替わり・繋ぎの4番で世界一に貢献</特大>{力こぶ}っていう目立つ歩みだけ羅列したら、こうなるかな・・・<色:#009966><大>個人的には出来るだけ、昨日の東京ドームか第二の故郷・札幌(愛知県出身やから第三とも言えますが・爆)の日本ハムファンの目の前で達成して欲しかったような気もしますが{汗}東京ドームはヤクルト時代からの彼のファンやヤクルトファンも達成を観る事が出来ましたし、</大></色>ともあれ彼にとっては通過点でしょう{ダメ}これからも頑張ってください{力こぶ}