GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

もしかしたら究極の打撃理論なんかも!?

というのを実践し、<色:#ff0000><特大>"神の域に達した"男</特大></色>が、<特大>榎本喜八</特大>というプロ野球選手だった{炎}そんな榎本氏が、先日亡くなったようです{困った}<下線>拙ブログでは、2009年の12月14日に触れてますね・・・</下線>榎本氏は左投げ左打ちで<大>1955年に毎日に入団</大>し、<色:#ff00ff>高卒それも打者で新人王を獲得する(高卒でも投手は珍しくないが、打者は極めて珍しい事!)</色>{ドクロ}また打撃だけでなく、一塁手(たまに外野)ながら足もあり盗塁成功率も高かった{笑い}もちろん大毎"ミサイル打線"の中核を担い、1960年のリーグ優勝に貢献!<太>合気道をバッティングに取り入れ、「万物に逆らわないバッティング」を実現した</太>{炎}<大>さらに極端な事を言えば"力を入れずに引力でバットを落とすような感覚でスイングする"という事やったようです</大>{ドクロ}<色:#ff0000><太>こんな境地は、もはや神の域でしょう!!</太></色>このスイングを引っ提げ、1966年には2度目の首位打者に輝いた{拍手}<下線>しかしこの一度掴んだ感覚がずれると、数字上も成績は落ちているが、本人の感覚も描いているものと違って来たようですね</下線>{落ち込み}本人もイライラが募り、コーラの瓶や自宅の窓ガラスを割るなど日常茶飯事で、と同時にそれらの行動はストレス解消でもあったようで{ウインク}一番の解消法は、猟銃でカエルなどを撃ち殺す事であったようです{汗}結局、かつてのライバルであった西鉄監督の稲尾和久に目を掛けられ、<斜>1972年に西鉄へ移籍するも</斜><大><太>1年で引退</太></大>{困った}<色:#009966>オールスターの試合前に談笑や群れたりせず、瞑想したり座禅を組んでいたといいますしね。</色><特大><太>ただ僕的には、"求道者ってそんなものだ"と思いますよ</太></特大>{炎}現代では、求道者・理想としてるスイングが出来ないと奇声を上げたり・ヒットやホームランを打っても喜ばず首を傾げて、完璧な打撃を求める姿勢は、広島の前田智徳そっくり{笑顔}<下線>落合博満と同様、名球会への入会の資格を有しながら、入会を固辞した変人であった!</下線><太><特大>現代でも「史上最強の打者」との呼び声も高く、そう称するかたも多いです</特大></太>{炎}「元祖・安打製造機」であり、稀に見る広角打法(スプレーヒッター)でしたしね!<下線>ともかく打球が速くて、</下線>ホームランなら王・ポテンヒットなら川上・<下線>"弾丸ライナー"なら榎本という、カテゴリーやそうです!</下線><太>"史上最強の中距離打者"は、イチローと彼ぐらいでしょう!!</太><色:#ff6600>2004年にイチローに抜かれるまでは、史上最速(最年少・31歳229日)で2000本安打を達成していたのが、榎本氏であった!!</色>師匠の荒川博(<現役時代>毎日・大毎<監督>ヤクルト)は、王に一本足打法を指導した「荒川道場」として一部では有名でありますが、その荒川氏曰く「榎本は王の10倍、ばか真面目だった。王の10倍は、バットを振った」と言われている・・・荒川氏は続けて「バットコントロールが素晴らしく、あれだけの打撃の名人はいなかった」と一番弟子だった故人を偲んでいる{悲しい}師匠より弟子が、先に逝ってしまうなんて・・・<斜>興味のある方は僕も読んだ事があるけど、</斜><太>松井浩 著『打撃の真髄 榎本喜八伝』(講談社・2005年)</太><下線>をご一読いただけたら、どうでしょうか!?</下線>通算成績は、試2222 率.298 246本 979点 安2314 でした。<特大>僕は日本プロ野球史に榎本喜八という、希代の名バッターが居た事は、一生忘れません</特大>{炎}<太>あの世でも思う存分、打撃道を追及してください</太>{悲しい}