GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

阪急ブレーブス回顧(身売り後②)

 翌2009年以降は、拙ブログを辿っていただければ・・・と言いたい所ですが、あっさりめに(爆)2009年は、ローズは日本人登録であるものの、外国人3人は高齢やケガも心配の種の為、保険を掛けた(汗)楽天からホセ・フェルナンデスを獲得し、万が一誰かがポシャッても良いようにしたのであった・・・ただ当然小技が、利きませんわなぁ(涙)前年活躍した若手投手もフロックだったのか、崩壊(困)優勝候補の呼び声が高かったが、借金30の最下位!大石監督も退陣・・・新監督には、一応OBの岡田彰布。岡田監督は、先ず打線をスリムにしようと、考えた。2010年はメジャー帰りの田口壮を獲得し、ローズ・フェルナンデスをリストラ・・・といったスマートな野球を標榜した矢先に、2008年の2位にもルーキーながら大いに貢献し、翌年もケガがあったものの打率を3割超をマークしレギュラー獲りを期待されていた右投げ・左打ちの外野手の小瀬浩之が、キャンプ5日目の休日に宿舎で転落死してしまった。悲しみに暮れたのはオリックスだけでなく、球界全体がそうだった・・・岡田の中で、かなり構想が狂ったと思う(涙)いきなりとてつもないスタートを余儀なくされたが、開幕から4連勝するなど好調なスタートを切った(まる)球団史上初のセ・パ交流戦も優勝した(冠)シーズン途中には、かつてのローテ投手だった平野佳を中継ぎエースとして、先発の柱・岸田を抑えに回し、新たな"勝利の方程式"を確立した(ドクロ)カブレラも最高出塁率を獲得し、岡田采配は阪神時代の実績はダテではない!という事が、証明された。激しい3位争いをしたものの、最終的には借金2での5位に留まる(落ち込み)翌2011年は親会社のオリックスが韓国の銀行を買収したとかで、大金を使って韓国出身の選手(朴贊浩[オリックス]・李承燁[ロッテ―巨人―オリックス])を次々に獲得する(汗)韓国での人気を得る為でもあり、親会社の都合でしかなかったから、僕自身も腹を立てたものだ・・・「時代遅れの韓流ブームや!!」と(怒)しかし李はここ一番で活躍し、143試合目まで3位の原動力となった!しかし最終の144試合目に敗戦し、貯金1の4位(涙)着実に力を付けて来ているのか、このチーム!?といった感じである。
 以上、阪急の回顧より長くなってしまった阪急ブレーブス身売り後の回顧でした(汗)だってブルーウェーブとかの方が、僕が実際に見て来たもんやもん、思い入れもあるし、仰木彬ファンやから余計にね(爆)以上が、阪急軍を起源としたオリックス・バファローズの前身球団・阪急ブレーブスの回顧でした!!このシリーズ、終了。次回は、とある球団を取り上げる予定です(汗)
 さぁ!阪急軍・ベアーズ・阪急ブレーブスファン、そしてオリックス・ブレーブスブルーウェーブバファローズファン、また旧近鉄ファンでも現在オリックス・バファローズのファンなら、賛同しましょう!『阪急ブレーブス応援歌』=球団歌
♪晴れたる青空 われらのブレーブス
もえたつみどりか われらのブレーブス
勝利をめざして きたえし技を
この日もしめさん われらのブレーブス
阪急 阪急 ブレーブス
oh oh 阪急 ブレーブス

守りは鉄壁 われらのブレーブス
攻めては怒涛か われらのブレーブス
勝利を誓いて 力をあわせ
歓呼にこたえん われらのブレーブス
阪急 阪急 ブレーブス
oh oh 阪急 ブレーブス

輝やく伝統 われらのブレーブス
心はひとつぞ われらのブレーブス
勝利をたたえて 明日にそなえ
女神とうたわん われらのブレーブス
阪急 阪急 ブレーブス
oh oh 阪急 ブレーブス