GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

‘10引退・退団選手個人的想い(パ・リーグ編)

ソフトバンク
佐藤誠(充)[投手・巨人―ダイエーソフトバンク]試209 16勝8敗1S 防4.14ダイエーに移籍して花が開きましたね(笑)中継ぎでフル回転!近鉄を応援してた時は、出て来たら嫌な投手やったね(汗)でもミスター・セットアッパー・勝利の方程式という感じで敵ながら好きな投手でした。近年は勤続疲労で往時の勢いは、さすがになかったか・・・巨人の打撃投手に。
水田章雄(投手・ダイエーソフトバンク)試190 16勝13敗3S 防4.13最後の最期まで未知数のピッチャーでしたねぇ(汗)ほんまに球も速くて潜在能力が高いピッチャーやったんですが・・・ただケガも多かったし、一時は隔年で結果を出す投手でした。毎年キーマンに挙げてたんですが・・・ソフトバンクの打撃投手に。
ロベルト・ペタジーニ(内・外野手・ヤクルト―巨人―ソフトバンク)試837 率.312 233本635点 安882<中>言うまでもなく、素晴らしい選手でしたね。復帰は、ビックらさせて頂きました(ドクロ)まぁ復帰後は、往年の長打力はなかったものの、さすがに確実性は高かったですよねぇ!
吉川元浩(投手・内・外野手・近鉄―巨人―ソフトバンク)試0 0勝0敗 防0.00/試45 率.242 2本5点 安15近鉄のスカウトが探しに探して見付けた金の卵やったのに。巨人に行ったのが、運の尽き(困)まぁ元々投手としてはあんまり期待されてなかったんでしょうが、野手転向後直ぐに真価を発揮してファームで本塁打を連発しましたからね!巨人でも2年連続の打点王。ただ巨人のファーストは、清原・・・さらに打力を活かす為に捕手などにも挑戦しましたが、一軍ではレフトフライの目測を誤るなどマイナスイメージが、付いてしまいました(落ち込み)巨人に行ってなければ、こんな通算成績や野球人生になってなかったかも知れません・・・そうまでして小野仁(投手:巨人―近鉄)を獲りたかったんか(少怒)吉川を出してまで小野を欲しいんか!?って思いましたもん、それぐらい吉川の身体能力を買ってたもん、当時の俺は!まぁソフトバンク入団時は、育成契約やったからようここまで這い上がって来たんですが・・・昨年末の『プロ野球戦力外通告』に取り上げられてましたけど、息子さんが難病にかかってしまって、自身の人生だけでなく色んな困難が待ち受けてる状況やからどっか獲って欲しかったけどなぁ・・・引退するようです。
辻武史(外野手・ダイエーソフトバンク)試267 率.222 1本31点 安73すいません、ノーコメントです。四国アイランドリーグplusの高知のコーチに就任。
大西正樹(投手・ソフトバンク<育成枠>)一軍出場なし。すいません、ノーコメントです。
マイケル・オルムステッド(投手・ソフトバンク<育成枠>)一軍出場なし。すいません、ノーコメントです。
<西武>
谷中真二(投手・西武―阪神オリックス楽天―西武)試243 21勝25敗 防4.55高校の先輩です!!西武時代は、1999年に松坂大輔(現:米)の影武者をやった事があるので話題になり、ご存知の方も居るかも知れませんね(汗)花が開いたのは、2001年シーズン途中に阪神に移籍してから(笑)ノムさんにシュートを見初められ、中継ぎからローテを勝ち取りました!地元に凱旋で、なおさら脚光を浴びました。しかも高校時代・オープン戦でも甲子園球場で投げた事がなかったらしいので、甲子園で投げられるから阪神への移籍は嬉しかったそうです。『週刊ベースボール 2010年12/27号』の惜別球人によると。ただ幼少の頃は、南海ファンやったらしいですが!週べには書いてないけど、ちょっとこれを言うて欲しかったな。ただ翌年以降は、佐藤義則(現役時代は、阪急・オリックス)コーチのヨシボールを覚えようとしたせいか?成績が下降し始めました(汗)それでも成績を見てみたら、まだ2002年は良かったんですが、2003年の阪神優勝には、殆ど関われず(困)翌年には、オリックスに移籍。同年には球界再編の騒動に巻き込まれで野球に100パー集中出来ずに。翌年は気持ち新たに新球団・楽天へ移籍!打線の援護も無く、奮わず(汗)打線が良くなってノムさんとも再会も、危険球騒動もあって往年の活躍は見れない・・・しかし2008年に古巣・西武に拾ってもらい、シーズンはそうでもなかったものの、巨人との日本シリーズで好投し、(日本シリーズで活躍すると球団関係者に良いイメージが残りますからね[ウインク])復活を印象付けました!!まだやれる体力や気力は残ってるようですが、西武の打撃投手になれるという良い話もそうそうないようなんで、引退を決意したようです・・・全盛期やキャリアハイは、やはり2001年ですね。先輩、お疲れ様でした(涙)
上原厚治郎(投手・ヤクルト―西武)試8 0勝0敗 防5.23すいません、ノーコメントです。
吉見太一(捕手・西武)試6 率.000 0本0点 安0すいません、ノーコメントです。西武のブルペン捕手に。
田沢由哉(投手・内野手・西武)一軍出場なし。<中>すいません、ノーコメントです。
<ロッテ>
下敷領悠太(投手・ロッテ)一軍出場なし。渡辺俊介二世・チームに2人のアンダースローも奮わずか・・・ロッテのスカウトに。
ブライアン・コーリー(投手・巨人―ロッテ)試35 5勝5敗 防5.08すいません、ノーコメントです。韓国球界へ。
黒滝将人(投手・ロッテ)一軍出場なし。すいません、ノーコメントです。ロッテの球団スタッフに。
相原勝幸(投手・ロッテ)試7 0勝0敗 防7.71すいません、ノーコメントです。ロッテの球団スタッフに。
堀幸一(内・外野手・ロッテ)試2064 率.269 183本810点 安1827パ・リーグを象徴する様な選手でしたね。全国的に有名・スターっ気があった訳やないけど、毎年ある程度コンスタントに成績を残すような選手でした!!入団は、何と1987年オフのロッテオリオンズの時代(驚)まだロッテが、千葉県やなく神奈川県の川崎球場を本拠地にしていた時代(つまり昔は、神奈川県に2球団プロ野球球団があった訳です[汗])です!プロ入り当初から中距離打者でした。しかしチームに長距離打者が少ない為、現実でもファミスタでも4番を打つ事も多かったようです(汗)僕の中では、当時パ・リーグを殆ど観てなかったから、"ホームラン少ないのに4番打者が堀"って変な球団って当時思ってました(すいません)それとあまり知られてませんが、彼は1~9全ての打順で本塁打を放った記録の持ち主・選手であります(炎)それだけ全打順に対応出来る打者やったんでしょう!1997年頃には、すっかりチームの顔になってましたね(笑)しかし正規のポジションである二塁手フリオ・フランコ(ロッテ―米―ロッテ再入団)がロッテに復帰した関係で、腰痛の負担を軽減する為もありレフトへコンバートされてしまいました(落ち込み)その影響で打率などの成績は、やや下降しましたね・・・ただやはり対応力は高く、それなりの成績は残しました、翌年にはフランコも居なくなりいつもの堀に!右打ち(流し打ち)には大変定評があり、名人芸でしたね(大笑)2005年の優勝・日本一にも貢献しました(力こぶ)
大塚明(外野手・ロッテ)試737 率.241 35本172点 安371千葉マリンスタジアムで守らせたら日本一でしたね(燃)とにかく外野守備は、名人芸(OK)千葉マリンは風がありえない方向や風量が吹く球場で、ここで守れたらどこの球場でも守れるというのは、本当の話です!打撃は率は低いものの、パンチ力があり本塁打は年間10本前後打ってましたね。特に山本功児(<現役時代>巨人―ロッテ<監督>ロッテ)監督時代は、育成や期待を兼ねてよく3番打者として起用されてましたね(笑)ただ若手の台頭もあり、限界が囁かれていましたが、対左投手にそこそこ成績を残す事やバレンタイン監督の日替わり打線の影響で抜擢され、2005年の優勝に貢献しました!「GO!GO!大塚明」という独特のダンス・応援は、パ・リーグファンの中では有名でお馴染みでした(笑)近年は若手に圧されてこうなりましたが、やはり現役時代の守備を買われて二軍外野守備走塁コーチに就任するのも頷けます。
ファン・ムニス(外野手・ロッテ)試14 率.136 0本1点 安3二軍では、首位打者みたいやったけどね・・・
田村領平(投手・阪神―ロッテ<育成枠>)一軍出場なし。すいません、ノーコメントです。ロッテの球団スタッフに。
日本ハム
豊島明好(投手・日本ハム)試2 0勝0敗 防0.00ご存知の方も多かったと思いますが、両親を亡くした家系で育ち話題にもなりましたな。ただ無情にもこの結果に・・・横浜の打撃投手に。
オリックス
大久保勝信(投手・オリックス)試254 16勝20敗63S 防3.23こうして見ると、結構防御率が良いですね(驚)何か仰木監督時限定年(2001年・2005年)しか活躍してないイメージが、どうしてもありましたわ(汗)プロ入団が遅かったし、プロ野球人生の大半が、ケガとの闘いでしたね{悲しい}世間的には、2001年近鉄優勝決定の代打逆転サヨナラ満塁ホームランを北川博敏に打たれた投手として印象に残ってるでしょうけど(ウインク)ただまぁこれはこれで良い思い出になったし、それで覚えてもらえた所もあったからと2週間前の週刊ベースボールにも書いてありました!ただ安定感もあった年もあったし、ジョーカーというニックネームは別に名前負けまではしてなかったと思いますよ。オリックスの球団職員に。
清水章夫(投手・日本ハムオリックス)試254 17勝29敗2S 防4.61アマチュア球界では、トップクラスもプロ入り後間もなくは壁にぶつかってましたね(汗)一時はローテを担ってましたが、どちらかというとワンポイント・便利屋扱いになりました。特にオリックスに移ってからは、ワンポイントとして貴重な存在でした!2008年の2位躍進にも貢献してくれました(燃)引退の模様。
本柳和也(投手・オリックス)試223 19勝28敗2S 防4.63球界一不機嫌な顔でマウンドに上がってるという評判ですが、それはマウンドでだけ(ダメ)グラウンドの外に出たら、これだけ愛想が良くてファンサービスの良い選手を僕は、見た事がありません(燃)本当に時間が迫ってても、出待ちファン全員の写真撮影やサインに応えていました!!ブルーウェーブ戦士でしたね。合併後の2006年・2007年の低迷期に中継ぎでフル回転した投手でした。特に2007年の交流戦で空気を読まずに阪神戦でピンチを凌いで、ヒーローインタビューに答えてたのが、印象的でした(ウインク)
仁藤拓馬(投手・オリックス)試1 0勝0敗 防18.002009年のオープン戦の好投もあり期待をされてたんですが、その期待をため息に変えたのは度重なるケガでしたね(困)残念・・・オリックスの球団スタッフに。
ジョン・レスター(投手・オリックス)試55 2勝3敗10S 防4.88レタス君、意外性はあったし球速もあったから何気に2年うちに居たんですけどね・・・
塩崎真内野手オリックス)試1232 率.258 35本261点 安82ブルーウェーブ時代のルーキーイヤーから仰木監督の寵愛を受け、内野ならどこでも守れる優秀な選手でした。加えて打撃もチャンスに強くてしぶとく、小柄な身体ながら意外に長打力も秘めていました。その為かブルーウェーブ最終年の2004年の終盤は本来はそういうタイプの選手やないんですが、4番にも抜擢されましたしね。2000年からチームの内野守備の不安もあり(1999年はレフトにハービー・プリアム[オリックス]が居た為、本職が外野手である田口壮をセカンドで起用する時もあった他仰木さんの日替わりオーダーが裏目に出て、エラーが多かった)、守備はチーム一に近かったし打力も付いて来た塩崎をショートで固定出来るようになりました(笑)さらに2001年は、1番打者ながらも得点圏打率が高く、完全に仰木監督の愛弟子となりました(大笑)ただ翌年の石毛監督からは、打撃不振・・・4番を打った伊原監督まで活躍は、待たないといけませんでした・・・で、仰木さん2度目の指揮の2005年は、近鉄との合併により内野手の競争が過激になった(平野恵一阿部真宏・後藤・水口栄二[現役時代は、近鉄オリックス]との争い)もののまた活躍出来ましたが、2007年のシルク監督の時には後藤光尊の台頭もあり、徐々にスタメンから外されました(落ち込み)でも彼が居なかったら、2008年の2位躍進は無かったと思いま(燃)あとエースキラーでしたね(キラキラ)特にダルビッシュには強く、もちろん企業秘密やけど、当然極意は在るって言うてました!二軍内野守備走塁コーチに就任。

フレディ・バイナム(内・外野手・オリックス)試16 率.138 0本1点 安4エラーも多かったし、ネタ集めの為の選手獲得やったね(ウインク)でも二軍では、まあまあやったかな・・・
グレッグ・ラロッカ内野手・広島―ヤクルト―オリックス)試583 率.290 123本372点 安600デッドボールが、多過ぎましたね(涙)そりゃ、避けるのが下手やから2007年に死球の日本記録作るって!ただチームが停滞気味の時によう助けてくれました(2007年の最下位・2009年の序盤はカブレラも居なかったから)!僕らは影で"マグネット・ラロッカ"って呼んでました(ウインク)ケガするのが、仕事みたいな選手っているじゃないですか?その典型例です(汗)まぁカブレラ・ローズ・フェルナンデスの内、誰か故障などで居なくなっても行けるように保険の選手でもありました・・・それと年俸の安さも魅力でした(ウインク)まぁ横着な守備もあったけど、結構上手かったですよ(OK)雑なだけで下手という訳では・・・打棒は広島・ヤクルト時代で証明済みでしょ。
フェルナンド・セギノール内野手オリックス日本ハム楽天オリックス)試767 率.273 172本483点 安724もう満身創痍でしたからねシーズン途中に獲ったのも不思議でしたし、潮時でしょう・・・

相川良太(内・外野手・オリックス)試314 率.246 28本95点 安181永遠の若武者でしたが、いつまでも若いとは見てくれない現実・・・2001年の近鉄の劇的優勝試合の9回に「ぴったり3点差」に広げるホームラン・2004年の最終戦で岩隈の投手3冠を打ち砕くホームランと節目・節目でホームランを打ってた記憶が、あります(ドクロ)そして2006年のちょいブレイク・・・この時は11本打ったし、覚醒したと思ってたんですが・・・それと個人的に球場を離れた場所でも気が付くと、彼のヒッティングマーチ・「この一打に賭ける若武者相川 技の見せ所 一撃さぁ飛ばせ」を口ずさんでる時があります{ウインク}旧ブルーウェーブ戦士がまた1人居なく(略)野球関連の会社員になる模様。
楽天
福盛和男(一夫)[投手・横浜―近鉄楽天―米―楽天]試414 41勝45敗82S 防3.65 成績だけ見たら、優秀ですよね!でも何か詰めが甘いイメージがあんのは、何でやろ?(汗)ただ在籍したのは、1年だけやったけど近鉄最後の守護神でもあった訳やし、何故かゲームで能力が高いイメージもあったわ{ウインク}お疲れ様でした!会社員になるようです。
石川賢(投手・中日―楽天)試12 0勝0敗 防7.20 <中>すいません、ノーコメントです。二軍サブマネージャーに。
藪恵壹(恵一・恵市)[投手・阪神―米―メキシコ―米―楽天]試279 84勝106敗 防3.58弱小期の阪神のエースでしたね(笑)打線の援護があったら、もう少し勝てた投手かも・・・ただアメリカに行ってからの方が、引き出しが増えて良い勉強になったようです。それをコーチ業に活かせるかどうかですね(汗)ただ先週の週べ(2/7号)によると、今年から導入される新公式球を投げて見せる為やコーチといえどトレーニングは必要と思われるから、本人は引退とは思ってないようです・・・ 阪神の二軍投手コーチに就任。
アンディ・フィリップス(内・外野手・広島―楽天)試100 率.249 17本62点 安86セ・リーグの広島では良かったんやけどねぇ(汗)パ・リーグのレベルが高いのか、合わんかったのか・・・
小坂誠(内野手・ロッテ―巨人―楽天)試1371 率.251 19本303点 安1069ショートの守備は、強肩・超名人と言われた大橋穣東映―阪急)と双璧でしょうね(燃)とにかく守備範囲が広くて、エラーをしない。あまりにも打球を簡単に捕ってしまう為、守備が上手いようには見えないぐらいでした(汗)いわゆるファインプレーをファインプレーに見せない本当に上手い守備、玄人ウケする(玄人にしか判らない)・玄人好みの選手でしたね!小坂の守備を見てると、殆どの選手が下手に見えるという恐ろしい守備の持ち主でした(ドクロ)小坂がロッテに居た事で、パ・リーグの選手は打率が1分ぐらい損をしてたという時代もありました!!あとは盗塁技術もありましたし、打撃は・・・でしたが(ウインク)育成(野手担当)コーチに就任。
憲史(川口憲史)[内・外野手・近鉄楽天]試976 率.263 69本314点 安613近鉄叩き上げの選手でしたね。とにかく体格が、めっちゃ良かった。それと絶好調時は、これほどキレイなレベルスイングが出来てる人は、居なかったと思ってたんですが・・・2001年のリーグ優勝に貢献した後は、年々下降してたのが残念でした(困)リーグ優勝時は、恐怖の7番打者として21本ホームランを放ち、見事な指名打者(DH)やったんですが・・・それと日本シリーズの対戦相手がヤクルトで先発に左腕投手が多かったから、あまり出れんかったのも残念でした・・・専門誌やないけど『週刊 プレイボーイ』によると引退みたいです。

トッド・リンデン(外野手・楽天)試126 率.253 17本55点 安113やはり悪い事は、出来ないんでしょうか?・・・一昨年ノムさんをはじめとした首脳陣批判をしたばっかりに・・・
番外編(汗)<メキシコ>
吉岡雄二(佑弐)[投手・内・外野手・巨人―近鉄楽天―メキシコ]試0 0勝0敗 防0.00/試1012 率.273 131本463点 安883巨人に一塁手は、たくさん居ましたからねぇ(汗)でも近鉄に来て正解でした(大笑)少し時間が掛かったけど。言うまでもなく、主軸として活躍!!ただオールスターに出たのが、2002年の1回だけやったっていうのが、少し淋しかったかな・・・とにかく飛距離は、ずば抜けてました(燃)それと代打よりもスタメンタイプやったかな、そういう点では楽天では残念な晩年となりました(困)それもこれも2004年のオープン戦でのアキレス腱断裂・それに伴う球団消滅による楽天への移籍が、選手寿命を縮めましたな・・・それでも2005年には、アキレス腱の故障も克服して、3番打者として結果を出しましたよ、山崎武司(DH吉岡・一塁手山崎、逆のポジションの時もあったと思います)と共に。しかし翌年以降は、ジャーマン山崎とポジションが被る事もあり、ノムさんの構想にも入ってなかったんか、成績が急降下(困)2008年の12球団合同トライアウトでも結果を出したんですが、NPBの球団からは声が掛からず、ひっそりとインフルエンザの渦中の中メキシコでプレー。まあまあ打ってたみたいです、ただネット以外では取り上げられる事もなく、ひっそりと引退したみたいです(涙)あのまま近鉄球団が在ったら、ファーストは北川のままやったとしても、アキレス腱も治ってました?し年間100試合ぐらいは、代打などで出れてたかも知れません・・・四国アイランドリーグplusの愛媛のコーチに就任。
 工藤公康(西)・土肥義弘(西)・斉藤和巳(ソ)・中村紀洋(楽)・大村直之(オ)は、決まり次第書きたいと思います。去年はパ・リーグの球団が日本一やったんで、敬意を表してパ・リーグからやりました。次回は、セ・リーグ編をお送りします!