GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

これだけ

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 他のチームの選手(近鉄でない球団の選手)でも話題にした事は無かった。あのキムタク(通常は亡くなられた方は、氏と書くんですが、僕の中では木村拓也は永遠にキムタクなんです[炎])が、こんなに早く亡くなるとは・・・大学時代に「キムタク、キムタク」と言っていたあの頃。僕とО君は、どこでも守れるユーティリティープレーヤーや脇役が大好きで、二人でキムタクキムタク言うてましたね。僕が初めて知ったのは、1997年のプロ野球選手名鑑(当時は背番号41でしたね)で、「この名前の選手がブレイクしたら、インパクトがあるやろうな」と思っていたら、徐々に力を付けて来て1999年には背番号0と若い・軽い番号に(ハート)この年の4/30・阪神×広島の甲子園球場では僕とО君とで生観戦し、遠巻きながらも代走で出場した初の生キムタクを目の当たりにしました。当時広島に木村姓はキムタク1人しか居なかったので、"木村"とウグイス嬢はコールしました。当時はО君も僕もめっちゃ(ラブ)な選手やなかったんですが、「苦労人やな。やから応援したくなる(メガホン)」という程度の会話をしましたね。またこの年には2試合ほど元々のポジション捕手としても出場してましたし、前半戦は二塁のポジションをほぼ確保してました!もちろん打撃でもプロ入団後一番良い成績で。でもまだオールスターに出られるぐらいの成績では無かったんですが、当時覚えたての学校の(パソコン)のEメールに私票で、木村をオールスターに選ぶべきや!と熱弁した事も覚えています。当時はまだ2人共、木村と呼んでいました。
 明けて2000年、木村考壱朗(一喜)[広島―楽天]が入団した為、新聞や電光掲示板の表記が"木村拓"と表記されるようになりましたし、この時のシーズン前に選手名鑑を買ってこの事に気付いた僕は、これで木村拓也やキムタクと呼べると飛び跳ねるように喜びましたよ(大笑)またこの年はキムタク自身、初めてレギュラーとなった年でした。そしてオールスターにも監督推薦で初出場を果たしました(拍手)この年の春先にキムタクが特集されてる週べを買い、必死にサイン入りカードのプレゼント応募に出した事も懐かしい思い出です(笑)結局当たりませんでしたけど(落ち込み)同時期にキムタクも凄いけど、オリックスで活躍されてた五十嵐章人はキムタクの上を行く投手もした事が、ありましたが。この頃の僕らは、五十嵐とキムタクの話題をしょっちゅうしてましたね、ほんまに。また以前にも言いましたが、僕は携帯のメアドをキムタクを意識して設定した(背番号を入れた)時代もありました(燃)五十嵐のアドレスにしようかなと思ったんですが、五十嵐はオリックスからどっかに移籍して背番号が変わりそうな気がしたんで、キムタクの方にしました。案の定五十嵐は、2002年にオリックスから近鉄へ移籍したので背番号が変わってしまいました(汗)だからキムタクに設定しといて良かったなといった事もありましたね。そんな時を経て2003年・2004年には、アテネ五輪の選手としても選出されました!僕は準決勝の対オーストラリア戦で、試合終盤でのチャンスに打者・藤本敦士、投手・ジェフ・ウィリアムスの場面で代打に金子誠かあなたが、よぎりましたよ!!それは金子もあなたも右打者やった(キムタクは右というか両打ち)し、藤本の調子が下降気味でしたから。その采配が遅れた気もします(汗)が、3位決定戦のカナダ戦であなたは、初スタメンながら活躍をしましたね!終わりに近付きますが、やはりキムタクのヒッティングマーチも残しておきましょう!
♪勝利を誘う晴れ舞台 ラララみなぎる闘志をぶつけろ 木村(日本ハム時代、妥当性があるかは不明であり僕の推測であるが、当時の日本ハムの基本テーマはこれであった)
♪足の速さは誰にも負けない 風を切り走れ 木村拓也  かっとばせー!木村(2000年から全て拓也)!木村、木村、木村ー!木村ー!(広島時代)
♪狙いすました一撃が 勝負を決める Vへの道 拓け木村拓也  かっとばせー!!拓也!(巨人時代)
 上に写真を載せたいと思います。
 この写真は、2001年に当時広島市民球場(1957~1967広島カープ、1968~2008広島東洋カープの本拠地)が、近々閉鎖されるという噂を聞いていたので、慌てて初めて同球場に来訪した時の物です。4/3の対阪神戦での試合前のキャッチボールをする姿のキムタクです。やはり当時の写真を改めて見ると僕は、キムタクを中心に追っかけていましたね(汗)ちなみにこの試合にキムタクは、1番・センターとしてスタメン出場をしてました。最後になりますが、木村拓也さん本当にありがとうございました(すいません)僕らは、いつまでも木村拓也の存在を忘れません!通算成績は、こないだの引退選手一覧の時に書いたんで、割愛します・・・僕の力では全く及びませんが、必ずや今後の日本プロ野球界を良い方向に持って行きたいと思います!あああぁ!!合掌です(涙)