GRの戯れ言日記

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南海ホークス回顧(身売り後と補足)

 書き忘れを記します(汗)ノムさんの監督時代からブレイザー監督時代にかけて主に1番打者として快打を連発した・藤原満(南海)の名を書き忘れてましたわ(汗)結果的には実績とかイマイチなドカベンとか書いといて、こんな名選手を書き忘れるなんて、藤原氏すいません(すいません)尚、藤原氏は全国的なスター選手ではなかったが、ドカベン香川の入団により南海という球団が注目を浴び、当時南海の選手としては異例のCMにもドカベンと共に出演した。それと関西では比較的毎日放送MBS)が、南海戦の中継をしていたようである。元々毎日新聞毎日オリオンズ(のちに大毎・東京)という球団を持っていただけに、パ・リーグとは何ら関係の無い放送局でも無かった訳だ。その名残があったのか、毎日新聞が球団から手を引いても、パ・リーグの放送を数多ではないが続行していた。ラジオではあったが『GO!GO!ホークス』という帯番組も放送されていた。南海の球団譲渡後貴重な映像で球団史を跡付けるビデオ『南海ホークス50年 栄光の歴史』を制作・発売したのも毎日放送であった。しかし南海球団と毎日放送の関係は、巨人と日本テレビ=読売新聞の様なメディア・ミックス的な関係とは、全く違っていた。それ故南海がダイエーに身売りされ、福岡に移転した時点でほぼ毎日放送は、ホークスと縁を切った。ここから先は僕の見解であるが、特に現代は顕著であるが、関西の放送局は需要や最終的に人気の高かった阪神タイガースを大々的に取り上げるようになった。ただ「えー!パ・リーグの球団が、そんな親会社でもないのにマスコミに取り上げられてたなんて信じられへーん!(驚)」と思う方は、永井良和橋爪紳也 著『南海ホークスがあった頃 野球ファンとパ・リーグの文化史』(紀伊国屋書店 2003年)をお読み下さい。
 さてここから先は、福岡ダイエーホークス福岡ソフトバンクホークスの話になりますが、あくまでこのシリーズの趣旨は南海ホークスの回顧なんで、駆け足に書きます。悪しからず、ご了承下さいませ(すいません)前述したように南海がダイエーに身売りとなり福岡県に移転、杉浦監督の「行ってまいります」というスピーチで救われたであろう大阪のホークスファンは、この言葉を糧に新球団・ダイエーホークスの応援を続行したものと思われる。しかし4番打者・中年の星であった主軸・門田博光は、子どもの進路の問題もあり「九州は遠い、何とか関西でプレーしたい。」と言い球団も折れ、同年に同じく新球団として阪急ブレーブスを買収した<下線>オリックスブレーブスに3選手と引き換えにトレードされた。新生ダイエーは大きな戦力補強はおろか、主砲・スター選手を欠いての船出となった。ただチーム1の人気選手を失ってもホークスファンを繋ぎ止める事が出来たのは、球団がダイエーになっても杉浦監督が続投した事であった。往時の大エースであったし人柄も良かった為、ファンが支持をしない訳が無かった。この杉浦でなければ、南海の最期を看取る事もファンが納得しなかっただろうし、ファンが離れないようにダイエー・初代監督も務まらなかったであろう と言われてるし、僕もそう思う。彼が南海最後の監督・ダイエー初代監督で良かったわ(大笑)と・・・
 でもどことなく重苦しい雰囲気が開幕からあったが、杉浦が中心となりシーズン途中から重苦しい雰囲気を吹き飛ばし、Bクラスとはいえ4位に躍進!それを置き土産にダイエーを退団。後任を田淵幸一(<現役時代>阪神―西武<監督>ダイエー)に託したが、外様であった上初の監督業務であっただけに失敗も多く、ファンの不満も多かった。ただ佐々木誠大野久阪神ダイエー―中日)・吉永幸一郎といった野手は、幾分か育ったような気もするが・・・ただチームは1度もAクラス入りならず!尚、門田は1991年にダイエーに入団(ホークスに復帰)を果たしている。門田は「自身のわがままでダイエーへの入団を拒否したからホークスに復帰した時は、歓迎されないだろうな」と思っていたが、意外にファンは温かく迎えてくれた。そして1992年に引退をした。 
 1993年になるとダイエーは、西武の管理部長などを歴任し、その上球界内外に幅広い人脈を持ち、現場もフロント(スカウト)も経験して来た"球界のフィクサー(他にも寝技師・仕掛け人)"の異名を持つ根本陸夫(<現役時代>近鉄<監督>広島―クラウン・西武―ダイエー)を西武から招聘(ヘッドハンティング)した。同時に本拠地球場も平和台球場から<福岡ドーム(現:福岡Yahoo!JAPANドーム)に移転する。ただ急に広い球場となった為初年度は、ドツボの最下位!本人も見越してた事とはいえ、やはり大幅にチームを改革する。古巣であった西武と大物選手同士のトレード・佐々木誠村田勝喜橋本武広ダイエー―西武―阪神―ロッテ)⇔秋山幸二(<現役時代>西武―ダイエー<現:監督>ソフトバンク)・渡辺智男(西武―ダイエー―西武)・内山智之(西武―ダイエー)が、実現した!佐々木は南海時代からのチームの顔・ましてや村田はエースであった(驚)その2人を出してまでも、球界を代表する秋山をチームに不可欠の存在としてどうしても欲しかったようである。結果的には、秋山の加入はのちに活きる。また根本の算段は、次期監督に王貞治を招聘する為の布石であった。その為のダイエー移籍・自身の監督就任であった。つまり「自分は王までのつなぎ役」という立場を作った。王を監督に招く事で当時巨人の監督であった長嶋茂雄とセ・パ共にプロ野球界を盛り上げよう、日本シリーズで「王ダイエーV.S長嶋巨人」を実現する事が、日本野球が大いに盛り上がる形だという青写真を描いていたようである。
 晴れて1995年にダイエーは、王監督就任を実現する。加えて根本が居なければ来なかったであろう工藤公康石毛宏典の獲得にも成功する。石毛は獲った意味があったかどうかは、甚だ疑問であるが・・・ただ世界のホームラン王・王に選手は、恐れおののいた。巨人の監督としての実績も芳しくなかったのもあり、現役時代の実績とは裏腹に采配能力に疑問を持つのは、特にダイエーファンに多かった。特に南海時代にリーグは違えどライバル球団であった巨人から来たよそ者、という拒否反応が強かったものであろう。それが鬱積して暴発したのが、1996年に日生球場の外で起きた「生卵事件」であろう。「かつてホークスが本拠地としていた大阪での試合であったし、旧南海ファンがホークスは大阪に居ないし、チームは弱いし、監督は巨人から来たような奴やし[怒]」といった感情が、ああいう暴挙に出たのであろう。それでも王は、"結果を出せばああいう事はやられなくなる、我慢するしかない"といった精神力の強さを見せたのはさすが世界の王といった所であっただろう。
 そういった苦難を乗り越え、1999年にダイエーは球団初のリーグ優勝・日本一を成し遂げる!この年の開幕間もなくに長年球界・チームを支えて来た根本が、死去する。根本さんの為にとチームがより一丸となり、投手力は中々だったものの、打撃成績はイマイチのチーム状況でも優勝出来たのかも知れない。翌年もパ・リーグ優勝!日本シリーズは、ついに根本が夢見た長嶋・巨人との対決となった(クラッカー)先に2勝を挙げたものの、4連敗して惜しくも日本一は逃したがダイエーはいつの間にか強豪チームになっていた。2001・2002年は、優勝を逃した。が、2003年に主砲・小久保裕紀を欠いたものの、川﨑宗則の台頭もありリーグ優勝!日本シリーズでも南海時代以来の1964年以来の対戦となる阪神と対峙し、何とか勝ち越し日本一になった特にアンチ阪神の多い大阪の南海ファンは、溜飲を下げたかも知れない。「球場も球団も元々大阪の球団は、ウチと近鉄や。」という心情があったであろうから。もしかしたら「阪神さえいなかったら、南海はずっと大阪に居たはずやのに[少怒]」といった感情も抱いてるであろう。
 しかし喜びも束の間、小久保が巨人に不可解な無償トレード(ドクロ)これは球界事情に詳しい人の間では、1リーグ制への布石ではないか!?と囁かれた。ダイエーは小久保を人質に「1リーグになった時は、ダイエーは球団整理(削除)の対象にしない方向で頼んまっせ」といった処置をしたんではないか?と。その推測は、邪推ではなかった。周知の通り2004年に近鉄オリックスの合併を中心に球界再編騒動が、起きた。さらにロッテとダイエーの合併も実現しかけた。巨人のナベツネはこれで1リーグの実現が出来ると踏んだが、世論や阪神の球団社長や各球団の選手を中心に猛反対が起き、1リーグは回避された。それはダイエーがギリギリまで産業再生機構への申請をせずに自主再建の道を選択した為、合併の話は無くなった。もはや九州でも随一の人気球団となったホークスをそう簡単に他のチームと一緒になる事を許さなかったのかな。ただダイエー球団としての運営は本社の不振により限界となり、南海の時と同様ダイエーソフトバンクへ身売りする事となった。 
 翌年の2005年、球団名もそのままホークス存続となり福岡ソフトバンクホークスとなった。球団(応援)歌もダイエー時代と同じ物で、ダイエーホークスソフトバンクホークスに変えただけで存続された。それだけ完全に九州・福岡に根付いていた・愛されていたのであろう。前年からパ・リーグは上位3球団によるプレーオフが実施され、ダイエーは1位通過しながら第2ステージで2勝3敗で敗れ、日本シリーズ出場を逃した。さらにソフトバンクになった翌年も1位通過したものの、又全く同じ勝敗数で敗退(落ち込み)そして翌年の2006年は、1位通過のチームには自動的に1勝の勝ち星(アドバンテージ)を与えるルールが設けられたもの、今度は3位通過で2位の西武を第1ステージで撃破したものの、第2ステージで敗退(涙)何かとホークスファンは、ジレンマの続くシーズンが続いている。2008年オフに王監督が、勇退。秋山監督の下、懸命に闘っている南海軍が起源の福岡ソフトバンクホークスである(拍手)
 さて長々と回顧して来ましたが、いかがやったでしょうか?関西には阪神タイガースだけでは語れん部分もあるという事が、お解りいただけたでしょうか?まぁ、阪神さんの歴史の深さ・思い入れには勝てんでしょうが(汗)興味のある方は、ぜひ参考文献をお読み下さい。最後に僕は拙ブログでのYou Tube等の動画の貼り付け方が分からないんで、例によって歌詞だけを載せたいと思います。南海ホークスファンの方々・ソフトバンクホークスファンの方々・そうでない方でもご存知の方は高らかに唄いましょう!『南海ホークスの歌』
♪グランド照らす太陽の
    意気と力をこの胸に
  野球に生きて夢多き
    南海ホークスさあ行こう
  ああ金色(こんじき)の 羽ばたきに
  そらに鳴る鳴るひるがえる勝利の旗!
  ホークス ホークス 南海ホークス

  白球飛んで虹となり
    砂塵おこって美技つづく
  チームのためにプレイする
    南海ホークス頑張ろう
  ああ逞(たくま)しい 羽ばたきに
  そらに鳴る鳴る高らかに勝利の旗!
  ホークス ホークス 南海ホークス

  鍛えて強き日灼け顔
    むつみ励まし燦然(さんぜん)と
  世紀の野球花咲かす
    南海ホークスいざ謳え
  ああ大いなる 羽ばたきに
  そらに鳴る鳴る晴れやかに勝利の旗!
  ホークス ホークス 南海ホークス
 このシリーズ、終了。来年のシーズンオフは、阪急ブレーブスをやる予定です。ああぁ、参考文献が無いぃ(汗)ていうか、それまでこのブログもつんか?何か近鉄に行くまで、終わりそうな気がする・・・いや、この3球団だけやなくて今まで消えた・合併した球団、全部やるべきな気がするっ(燃)