GRの戯れ言日記

拙ブログは、過去に他サイトのブログサービスでやっていた「リングの戯れ言日記」というものをそのまま移動させたものです。2014年3月27日以降の記事は、gooブログの「GRの戯れ言日記2」をご覧ください。

南海ホークス回顧(戦前編)

 今年のプロ野球もシーズンオフに突入し、先日の記事にもお笑いの記事が多くなると書きましたが、僕はプロ野球の歴史を掘り下げるのが趣味やし大事な事やと思ってる、さらにオフこそ絶好の機会やと思い、毎年?特にこの時期に掘り下げているんです(笑)僕の応援ソウルは、関西パ・リーグ私鉄3球団(南海・阪急・近鉄)ですし、それらを伝導する(力こぶ)及び鎮魂するのが僕の役目 と勝手に思ってますから(汗)先ず最初の手立てとしてリングの起源の南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)から取り上げましょうかね。
 『南海ホークス四十年史』によると、元々阪急電鉄小林一三(いちぞう)社長が、南海電鉄の寺田甚吉社長にプロ野球球団設立誘いを掛けていた。しかしこの時は具現化しなかった。やがて1936年の冬頃阪神電鉄の細野躋(のぼる)が、南海の小原英一取締役を説得した。口説き文句は「乗客へのサービスと企業のイメージアップの為」というものだった。ただ南海電鉄プロ野球に新規参入する事を決めたものの、日本職業野球連盟側が南海の加入を認めると既存の8球団から9球団になり奇数で、試合が組みにくくなる。他にもライバル会社の新参者を加入させたくない・球団が増えれば赤字がさらに膨らむかも知れない という懸念から、難色も示された。しかし関東の球団の関西での興行権を失いたくない等の理由から、加入が認められた。つまり1938年に南海電鉄が親会社となった南海軍という現在の福岡ソフトバンクホークスの前身の球団が誕生したのである。ただし半年はオープン戦等で実力を見極め、その後にリーグ戦(公式戦)に参加させる事が条件となった。その為春のリーグ戦には参加せずに、試金石のオープン戦南海軍は見事に勝利を飾る。この経緯は『南海ホークス四十年史』には記載がないので新聞記事から補っておきたい。
 チームの初試合は5月10日の対(名古屋)金鯱軍戦で、甲子園球場で行われた。結果は3対0で、勝利投手は専修大学出身の鈴木義太郎である。この日はダブルヘッダーで続いて読売と対戦したが、こちらは6対1で負け。この秋のリーグ戦は、11勝26敗3分に終わった。チーム順位は最下位ではない8位であった(この年、南海以外にも新規参入を果たした球団があったという事)。
 他にも当初の南海は、関西で試合が組まれる時は甲子園・西宮球場で戦った。南海所有の球場はプロ野球の試合を行うには、条件が良くなく不十分であった為。それでも1939年6月11日に完成したのが"中モズ球場"である。同球場の施工は南海電鉄工務課で、ワシントン・セネタースの本拠に倣い、内野にも芝を張る凝りようだった。しかし、資金不足から内野に五千人収容の木造スタンドを設置するのみとなった。しかし隣接のテニスコートで行われている全国高校テニス大会のニュースの方が、中モズのプロ野球(職業野球)の方が小さく新聞で取り上げられるほど小さく刷り込まれたものであった。しかしその後も中モズで、職業野球の公式ゲームが行われた。しかし<太>立地が悪く、観客動員は出来ない。南海絡みの試合は、結局甲子園や西宮を本拠地として、行われたものだった。なお中モズ球場に関する地名が、漫才(お笑い)コンビではない、バンドのアンタッチャブルの『南海ファンやもん』にも登場する。
 チーム順位は東京六大学からスター選手が入団したものの後発の悲しさ故、戦力不足を強いられた。看板選手の岩本義行(<現役時代>南海―大陽・松竹・大洋松竹・洋松[→この内大陽は1リーグ時代に終焉を迎え、2リーグ分裂時に松竹と合併。また松竹は後に大洋と合併。よってこれらの球団は、現:横浜ベイスターズ]―東映<監督>南海―東映近鉄。注:南海・東映時代は、選手兼任)も軍隊にとられ、低迷。1939年に鶴岡(山本)一人(<現役時代>南海・近畿・南海<監督>近畿・南海)が、法政大学から入団。即主将にホームラン王と大物ぶりを発揮するが、翌1940年には招集され、終戦までユニフォームを着る事はなかった。1942年秋には別所毅彦(昭)[<現役時代>南海・近畿・南海―巨人<監督>サンケイ・アトムズ・ヤクルト]が、入団している。1939年から1シーズン制となったが、5位・8位・4位・6位・8位・6位となっている。
 また5/13の記事にも書いたように南海電鉄が、1944年に鉄道統制令によって関西鉄道急行(近鉄)と合併した為、南海電鉄も社名を「近畿日本鉄道」となり、球団・南海軍が"近畿日本軍"とチーム名を変更している。

 参考文献:永井良和橋爪紳也 著『南海ホークスがあった頃 野球ファンとパ・リーグの文化史』(紀伊国屋書店 2003年)
       永井良和 著『ホークスの70年 惜別と再会の球譜』(ソフトバンククリエイティブ株式会社 2008年)
       坂本邦夫 著『プロ野球データ事典 ひいきチームの主力選手のすべてが一目でわかる!』(PHP研究所 2001年)
 さっきさらっと触れましたが、お笑いでない方のアンタッチャブルに南海ファンやもんという唄が、あります!これは関西パ・リーグファンの間では、結構著名でホークスファンでなくても結構ご存知の方は、多いんやないでしょうか?(大笑)さぁ、南海・ソフトバンクファンはもちろん、ご存知の方は高らかに歌いましょう!アンタッチャブルで『南海ファンやもん』
 ♪だって俺 だって俺 南海ファンやもん
  昔の話が 酒のあてになる頃 そん時だけに 目の輝きが戻る
  あん時ゃよかったね あん時ゃ強かったねと 言いたいばかりに 今日もミナミの飲み屋へ
  沈みかける夕日に 向かって俺一人 そばに立って一緒に 唄歌う女はいない
  だって俺 だって俺 南海ファンやもん
  酒とグチと 南海ホークス 一人で語る 黄金時代のことを
  散歩がてらに 中モズたずねれば オーこれがホークス なんとも言えんエー感じ
  いつかきっとよくなるさ そのうちみてろとつぶやいて 夢をかたるほどに わびしい気持ちになってくる
  だって俺 だって俺 南海ファンやもん
  酒を飲めば底なしで どうせあかんとくだまいて やっぱり足を運ぶ みどりのユニフォーム好きやから
  だって俺 だって俺 南海ファンやもん
  だって俺 だって俺 南海ファンやもん